イモを半分に切ってフライパンで蒸し焼きにしてゴマ塩振って食べる。食物繊維も豊富で砂糖も使わず腸スッキリ。しかも最高にうまい。これ以上のおやつがあるだろうか?
前回、わが「風呂と洗面台まわり」のスペースを占拠していたタオルだの化粧品だのお掃除グッズだのを、「フェイスタオル一個」と「ゴマ油」と「雑巾1枚」を残してことごとく捨てたことをご報告させていただいた。 そしてその結果、暮らしには何の支障もないどころか、家の中も心の中もこれまでの人生で経験したことのない超「スッキリさわやか」な状態と相成りまして、改めて思い返せばそれを決行したのはもう6年前の出来事なわけですが、今もリバウンドなど起きる気配など全くなく快適に暮らしている。
ということは、私はもう100%「これで十分」なのである。 つまりはですね、世の多くの方々が「生きていくための必需品」と信じておられるもののほとんどは、実は全く必需でもなんでもないのでありまして、「あればまあ便利と言えないこともない」という程度のものに過ぎないのだ。なのに、その割には多大なるスペースを占拠し、我らの心をモヤつかせるストレスの元になったりしているんである。
もちろん、何が必需で何がそうでないかは、その人の置かれた状況によって異なる。万人に共通の正解があるわけではない。 しかしここは最大限に強調したいところなんだが、その境界線はきっと、あなたが想像する以上に、ずーっとずーっと「いらない寄り」である。 そして、勇気を出して手放してみて「あ、これって実はいらなかったじゃん!」と気づくことは、世の中のどんなに良くできたゴラクよりもはるかに深い快感と開放感を人生にもたらす。だって「何かがなければ生きていけない」となれば、失うことを恐れて生きなければならない。「なくても平気」ってことほど強いことはないのだ。つまりは一つの気づきが、あなたの人生を恐れから解放してくれるのである。「必需品」なるものは減らせば減らすほど人生は輝くのだ。
最後まで捨てられなかった「必需品オブ必需品」
というわけで今回は、前回書いた洗面所周りのもの捨てにおいて、我ながら「いやはやここまで捨てますか……」と驚いた「あるモノ」について書いてみたい。