わかる日本書紀

蝦夷一族の、子々孫々に至る誓い【第30代③】

ややこしい日本書紀をわかりやすく紹介した書籍『わかる日本書紀』シリーズ第4巻から、日本の正史を学ぶ連載。今回は第30代、敏達天皇の御代のお話(提供元:西日本出版社)。

敏達天皇の皇妃。新羅、百済との外交

敏達四年正月九日、天皇は息長(おきなが)マテ(真手)(のおおきみ)※1の娘ヒロヒメ(広姫)※2を皇后としました。
皇后は、押坂(おしさかの)ヒコヒトノオオエ(彦人大兄)皇子、菟道(うじの)シツカイ(磯津貝)皇女ら一男二女を生みました。

天皇はこの月、皇后の他に春日(かすがの)ナカツコ(仲君)※3の娘でオミナゴ(老女子)夫人という一人の夫人をめとりました。オミナゴ夫人は、三男一女を生みました。
その他に、伊勢大鹿(いせのおおかの)オクマ(小熊)(のおびと)※4の娘ウナコ(菟名子)夫人という采女(うねめ)をめとりました。ウナコ夫人は三女を生みました。

二月一日、ウマコ大臣は都に帰り、天皇に屯倉の報告をしました。

三月十一日、百済が日本に使者を派遣し、例年より多い献上品を朝廷に届けました。天皇は、皇子とウマコ大臣に言いました。
「新羅はいまだに任那を支配している。任那を再興することを怠ってはならない」

四月六日、天皇は吉士(きしの)カネ(金子)を新羅へ、吉士イタビ(木蓮子)※5を任那へ、吉士オサヒコ(訳語彦)を百済へ、それぞれ使者として派遣しました。

六月、新羅が日本に使者を派遣し朝貢しました。例年より多い献上品でした。そのとき新羅は、任那の多多羅(たたら)、須奈羅(すなら)、和陀(わだ)、発鬼(ほちき)の四つの邑(むら)の調も合わせて送って来ました。

この年天皇は、ト者(うらべ)にアマ(海部)王とイトイ(糸井)王の住むところを占わせたところどちらも吉でした。
そこで、宮殿を訳語田(おさた)※6に造りました。これを幸玉宮(さきたまのみや)といいます。

十一月、敏達天皇の皇后ヒロヒメが亡くなり、五年三月十日、朝廷は新しい皇后を立てるよう天皇に進言しました。
天皇は、トヨミケカシキヤヒメ(豊御食炊屋姫尊=後の推古※すいこ天皇)を皇后としました。皇后は、二男五女を生みました。

六年二月一日、朝廷は日祀部(ひまつりべ)※7私部(きさきべ)※8を置く命令を出しました。

五月五日、天皇はオオワケ(大別)王と、吉士オグロ(小黒)を使者として百済に遣わしました。

十一月一日、百済王は、日本に帰国するオオワケ王らの使者にことづけて、経論を何巻かと、律師(りつし)※9禅師(ぜんじ)※10、尼僧、呪禁師(じゅごんし)※11、造仏工(ぞうぶつこう)、造寺工(ぞうじこう)、六人を日本の朝廷に献上しました。
天皇は、百済から献上されたこの六人を難波のオオワケ王の寺に住まわせました。

七年三月五日、菟道(うじの)シツカイ皇女を伊勢の祠(まつり)※12に仕えさせましたが、イケベ(池辺)皇子に犯されたことが発覚して解任しました。

八年十月、新羅は奈末(なま)キシサ(枳叱政)※13を日本に派遣して朝貢し、あわせて仏像を送りました。

九年六月、新羅は奈末アト(安刀)と、奈末シショウ(失消)を日本に派遣し朝廷に献上品を朝貢しましたが、天皇はそれを受け取らずに返しました。

十年二月、東北の蝦夷(えみし)※14数千人が、都から遠い辺境の地に侵攻し荒らしました。そこで天皇は、蝦夷の首領のアヤカス(綾糟)らを呼び出し、
「景行天皇の御代に、お前ら蝦夷を殺すべき者は殺し、許すべき者は許した。私はその前例に従い、元凶の首領を殺そうと思う」
と言い渡しました。アヤカスは恐れ畏まり、泊瀬(はつせ)※15の川の流れの中に入り、三諸岳(みもろのおか)※16に向かい水をすすって盟(ちか)いました。
「私ども蝦夷は、今後子々孫々にわたって、清く明らかな心で、天皇にお仕えします。もし誓いを破ったら、天地の諸々の神と天皇の御霊(みたま)が私どもの種族を絶やすことでしょう」

十一年十月、新羅は、再び使者を遣わし朝貢してきました。しかし、天皇は受け取らず返しました。

※1 息長真手王(おきながまてのおおきみ)
滋賀県米原市付近を本拠地とする息長氏に関係する王。娘の麻績郎女(おみのいらつめ)は継体天皇の妃となり、今、広姫が敏達天皇の皇后となる。

※2 広姫(ひろひめ)
敏達天皇の皇后。子どもの押坂彦人大兄皇子(おしさかのひこひとのおおえのみこ)は舒明天皇の父となる。この年の十一月に薨去。

※3 春日仲君臣(かすがのなかつこのおみ)
春日氏は奈良市東部から天理市にかけての地を本拠とする氏族。仲君は他見なし。

※4 伊勢大鹿小熊首(いせのおおかのおくまのおびと)
伊勢大鹿氏は三重県津市付近(旧河曲郡)を本拠とする氏族。小熊は他見なし。

三月十一日に大臣とともに天皇の話を聞いた皇子とは?
誰のことか具体的に記されていないが、内容が極めて重大なことを考えると、皇后の第一皇子である押坂彦人大兄皇子なのだろう。
任那を再興することを怠るとは?
史実としては既に滅んでいるのだが、まだ復興できる可能性を捨てていない。

※5 吉士木蓮子(きしのいたび)
外交関係記事にたびたび登場する。木蓮子はイチジクに似た食用果物。イタビカズラ。

多多羅(たたら)、須奈羅(すなら)、和陀(わだ)、発鬼(ほちき)の四つの邑の調について
この四村は継体二十三年に新羅に奪われた四村のこと。また、この記事は「任那の調」と呼ばれる貢ぎ物の初出。

※6 訳語田(おさた)
奈良県桜井市戒重付近といわれる。

※7 日祀部(ひまつりべ)
日々、祖先を祀ることを職掌とした人々か。

※8 私部(きさきべ)
皇后・妃たちのための部民。「私」は皇后の意。「きさきべ」は後に「きさいべ」となる。

※9 律師
戒律に通じた僧侶。

※10 禅師
ここでは徳の高い僧侶のこと。

※11 呪禁師
仏法に則ったまじないで、病気等を除く人。

※12 伊勢の祠
後の伊勢神宮のことだが、史実とは思えない。

※13 奈末枳叱政(なまきしさ)
枳叱政は名前。他見なし。奈末は新羅の階位の名称。全十七位中の第十一位。日本だと従六位程度。

※14 蝦夷
朝廷から見た、東北以北の蛮族の総称。

※15 泊瀬
奈良県桜井市東南部。長谷寺がある。

※16 三諸岳
ここは奈良県桜井市の三輪山のこと。

★次回更新は1月17日(月)です。


日本のはじまりを知る。

この連載について

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わかる日本書紀

村田右富実 /つだゆみ /村上ナッツ

『日本書紀』は神代から第41代持統天皇の時代までを扱った日本最古の歴史書です。しかし本文は漢文、全30巻と長く読解は難しいため、正史ながら読んだことのある人はほぼいません。そこで、劇作家が書くわかりやすい文章と、親しみやすいキャラクタ...もっと読む

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