20代、人間関係にまつわる愚痴
坂本龍馬(幕末志士)
1835年-1867年。土佐藩出身の幕末の志士。のちに脱藩して勝海舟のもとで航海術などを学ぶ。その後、亀山社中(海援隊)を結成したほか、薩長同盟の締結に尽力した。大政奉還の実現にも関与したとされるが、維新直前に暗殺された。
手紙から見える龍馬のサービス精神
坂本龍馬といえば、日本の歴史上の人物の中でも、とりわけ人気の高い者の一人、といってさしつかえないだろう。その人気の理由の一つとして、人間味あふれる手紙をいくつも残した点も挙げられよう。
現存する龍馬の手紙は、約140通ある。郵便制度などが整う明治維新前に没した人間としてはかなり多いほうといってよいだろう。龍馬が筆まめであったことと、手紙を受け取った人たちが、捨てずにきちんと保管していたことが一因と考えられる。龍馬が家族や友人を愛し、大切に考え、また家族や友人からも愛されていたことがよくわかる。
そんな龍馬の手紙は、一つひとつに趣向が凝らされていて、実に面白いものが多い。「エヘン、エヘン」と威張ったような感動詞が使われているものもあれば、日本初といわれる新婚旅行の内容を綴った手紙には旅行先の様子などが図入りで説明してある。実にサービス精神あふれた代物なのだ。
そんな手紙にしばしば登場するのが
「こんな手紙、決して他人には見せられないよ」
という、ちょっぴり弱気な、愚痴か泣き言のように見える言葉である。豪快な人物の代表のような龍馬が、なぜこんな言葉を多用したのだろうか?