(降格人事は)とても請けられない」伊藤博文

歴史に名を残す人物たちも、実は「愚痴」をこぼしながら生きていた! 渋沢栄一から夏目漱石、豊臣秀吉にナイチンゲールまで、人生の苦境で言わずにおれなかった愚痴150篇。女性への未練、お金の無心や仕事の焦り、家族への恨みなど現代人と変わらない不平不満です。読めばなぜか勇気がわいてくる、愚痴ノンフィクション! 10月21日発売の新著『人間愚痴大全』より特別公開します。(提供元:小学館集英社プロダクション)

30代、仕事にまつわる愚痴

伊藤博文(政治家)

1841年-1909年。長州藩出身の政治家。内閣制度を創設し、初代内閣総理大臣となる。その後も枢密院議長などになり、大日本帝国憲法発布に尽力するなど日本の近代化に大きく貢献。のち初代韓国統監となったが、ハルビンで暗殺された。

急進的な改革が煙たがられる結果となる

初代内閣総理大臣になったことでも知られる伊藤博文は、長州藩(山口県)出身。若い頃は松下村塾で吉田松陰の教えを受け、幕末の志士として倒幕に尽力していた。

伊藤が他の志士たちと違っていたことといえば、22歳の時に藩命でイギリスへと留学していたこと。江戸幕府が健在であった時代に、海外を自分の目で見た経験がある者は非常に少ない。この経験はのちのち伊藤の武器ともなる。

やがて江戸幕府が倒れ、明治新政府が動き出す。その中心にいたのは、岩倉具視、三条実美などの公家と、薩摩藩出身の西郷隆盛や大久保利通、長州藩出身の木戸孝允らであった。彼らと比べると若い伊藤は、政府の中枢とまではいえないものの兵庫県知事、大蔵少輔などの重職を担った。

とはいえ、日本の政治の中心にいたわけではない。江戸時代にあった「藩」をなくし、新たに「県」などを設け中央集権制を確立する「廃藩置県」などの大改革は、伊藤が大阪で別の仕事をしている時に断行された。つまり、これらの大改革に、伊藤は直接絡んでいないということになる。

明治の世となり生まれ変わった日本を、若い頃に見て学んだ欧米の国々のようにしたい。そんな思いが誰よりも強い伊藤にとって、自分が改革の中心にいられないという現実を目のあたりにしたことは、相当悔しかったに違いない。

しかも、その直後、伊藤は「租税頭」に任じられる。決して軽い職ではないが、これまでの大蔵少輔から比べれば、格下げ人事といってよい

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なぜか、勇気が出てくる。不平不満の150篇。

人間愚痴大全

福田 智弘
小学館集英社プロダクション
2021-10-21

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なぜか勇気が出てくる 人間愚痴大全

福田智弘

「今日も飯はうまくない」「アルコールでごまかすより外なかった」 天才と呼ばれる作家に芸術家、世界を変えた政治家に勇猛な武将まで、歴史に名を残す人物たちも、実は「愚痴」をこぼしながら生きていた! 渋沢栄一から夏目漱石、豊臣秀吉に...もっと読む

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