豊臣秀吉「最近手紙くれないよね」

歴史に名を残す人物たちも、実は「愚痴」をこぼしながら生きていた! 渋沢栄一から夏目漱石、豊臣秀吉にナイチンゲールまで、人生の苦境で言わずにおれなかった愚痴150篇。女性への未練、お金の無心や仕事の焦り、家族への恨みなど現代人と変わらない不平不満です。読めばなぜか勇気がわいてくる、愚痴ノンフィクション! 10月21日発売の新著『人間愚痴大全』より特別公開します。(提供元:小学館集英社プロダクション)

50代、恋愛にまつわる愚痴

豊臣秀吉(戦国大名)

1537年-1598年。貧しい百姓の子として生まれ、のちに織田信長に仕え大いに出世を果たす。本能寺の変以降、信長の後継の座に座り、関白となって天下を統一。その後、朝鮮にも出兵したが、その途中で死没した。

女性の「既読スルー」を気に病む大名

豊臣秀吉と正室おね(ねね)とは「恋愛結婚」だったという。著名な戦国大名の場合、多くは戦国大名同士の連携のために婚姻関係を結ぶ「政略結婚」が多いので、比較的珍しいケースともされる。ただし、おねと結婚した頃の秀吉は、まだ足軽という低い身分にあった。このレベルの戦国武将であれば、恋愛結婚であっても決して不思議ではない。

二人の出自などは不明な点も多いのだが、通説によれば、結婚した当時、秀吉は24歳。おねは11歳下の13歳であった。

貧しかった二人は、土間に簀掻藁と茣蓙を敷いて式を挙げたとされる。貧しかったが、二人は仲がよく、幸せに包まれていたようだ。

しかし、秀吉が徐々に出世していくにつれ、徐々に悪い癖が顔をのぞかせはじめる。女癖である。

秀吉が信長の配下として東奔西走していた40歳前後のこと。信長がおねに送った手紙が残っている。そこには、「おねは美しくなった」「あのはげねずみ(=秀吉)があなたに文句いうなんて言語道断」「あの秀吉にあなた以上の妻を得ることはできない」「だからあなたも堂々として嫉妬などは起こさないように」

といったことが書かれている。「嫉妬など起こさないように」といっているということは、この頃秀吉が、側室を持つなど盛んに他の女性と関係を持とうとしていたということだろう。

ちなみに、この手紙は数通しかないといわれる貴重な信長の自筆の手紙の一つだといわれている

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なぜか、勇気が出てくる。不平不満の150篇。

人間愚痴大全

福田 智弘
小学館集英社プロダクション
2021-10-21

この連載について

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なぜか勇気が出てくる 人間愚痴大全

福田智弘

「今日も飯はうまくない」「アルコールでごまかすより外なかった」 天才と呼ばれる作家に芸術家、世界を変えた政治家に勇猛な武将まで、歴史に名を残す人物たちも、実は「愚痴」をこぼしながら生きていた! 渋沢栄一から夏目漱石、豊臣秀吉に...もっと読む

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