40代、人間関係にまつわる愚痴
北条義時(武将)
1163年-1224年。北条時政の次男。兄の戦死後、北条家の後継者となり、父の失脚後、鎌倉幕府の2代執権となった。後鳥羽上皇による倒幕運動「承久の乱」が起こった時には、姉政子と協力して、無事、これを鎮圧した。
義弟の仇のために実の父親を失脚させた男
2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の主人公として、一躍有名となった北条義時。父である鎌倉幕府の初代執権(将軍補佐役)北条時政の跡を継いで、2代目の執権となる人物だ。姉に源頼朝の妻・北条政子がいる。
その他にも腹違いの兄弟姉妹がおり、その結婚相手、すなわち義兄弟に当たる人物に畠山重忠と平賀朝雅がいる。
畠山は知勇兼備で「坂東武士の鑑」とまで称された人物。一方の平賀は、北条時政の寵愛を受けていた後妻・牧の方の娘婿として幅を利かせていた。
この平賀と畠山の息子が、不和となる。そこで平賀は義理の母である牧の方に訴え、畠山を殲滅しようと図る。牧の方とそれを愛する北条時政は、平賀の訴えを聞き入れ、「畠山に謀反あり」として、その討伐を決定。討伐実行の命を受けたのが、北条義時であった。
義時は、畠山重忠の高潔な人物像を知っていた。彼が謀反など起こすはずはない、と思っていただろう。事実、
「犯否の真偽を糺すの後にその沙汰あるも、停滞すべからざらんか」
(真偽を確かめてから、取り扱いを決めても遅くはないのではないか)
と告げたが、その訴えは聞き入れられなかった。やがて、義時は大軍を率いて戦いの場へと赴く。そして、いざ対峙してみると、畠山の軍勢はわずかに130余騎。数に劣る畠山軍はあっさりと敗れ、畠山重忠も首をはねられた。