欽明天皇亡くなる
欽明三十二年四月十五日、天皇は病気になりました。
そのときちょうど皇太子(後の敏達びだつ天皇)は外出していて天皇のそばにいませんでした。
それで駅馬を出して知らせ、寝室に呼びました。天皇は皇太子の手を取ってこう言いました。
「私の病は重い。後はお前に任せる。
お前は、新羅を討って任那を復建せよ。
我が国と任那との関係が、夫婦が仲直りするように以前のままに戻れば、今死んでも思い残すことはない」
この月、天皇はついに大殿で亡くなりました。
享年は不明です。
八月一日、新羅は未叱子(みしし)シショウ(失消)※1ら弔問の使者を派遣し、殯(もがり)に哀悼の礼を捧げました。
この月、シショウらが日本から新羅に帰国しました。
九月、欽明天皇を檜隈坂合陵(ひのくまのさかいのみささぎ)※2に葬りました。
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