※この記事の情報は、『週刊東洋経済』2019年9月9日発売当時のものです。
大帝に変貌
明治天皇 「日本の近代化」を体現
川村学園女子大学 教授・西川 誠
明治天皇は崩御するとすぐに、「明治大帝」と名付けられた本が刊行された天皇であった。大帝という言葉には、国民が抱く、近代国家の君主としての畏敬の念と、明治になって発展した国民自らの矜持が感じ取れる。
江戸時代の天皇は、庶民にとってはその存在がなんとなく知られている程度であり、武士をはじめとする知識階級にとっては、文雅の人、あるいは祭祀をつかさどる存在であったろう。
日本の近代は幕末、外圧によって始まった。外国の脅威に対抗するために日本らしさが考えられ、「天皇による統治の継続」が発見される。幕府の対外政策が批判され、天皇が将軍に政治を委ねたという大政委任論が強まって、天皇と朝廷の政治が望まれた。幕府を倒した新政府は、天皇中心の政府、天皇が親政を行う政府であることが求められた。
しかし江戸時代の天皇はあくまでも京都の文雅の存在であった。そのあり方を変えなければならない。新政府の大久保利通は、鳥羽伏見の戦い(1868年)の後、宮中に閉じこもる天皇から人々の前に現れ、ありがたいと思われる天皇への変換をいち早く唱えた。
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