ドモナラヌ」岩倉具視

歴史に名を残す人物たちも、実は「愚痴」をこぼしながら生きていた! 渋沢栄一から夏目漱石、豊臣秀吉にナイチンゲールまで、人生の苦境で言わずにおれなかった愚痴150篇。女性への未練、お金の無心や仕事の焦り、家族への恨みなど現代人と変わらない不平不満です。読めばなぜか勇気がわいてくる、愚痴ノンフィクション! 10月21日発売の新著『人間愚痴大全』より特別公開します。(提供元:小学館集英社プロダクション)

40代、仕事にまつわる愚痴

岩倉具視(公家)

1825年-1883年。堀河康親の次男で、岩倉具慶の養子となる。王政復古の実現に功を成し、新政府の中枢として活躍。華族会館長に就任し、華族銀行(第十五国立銀行)や日本鉄道会社の設立なども行う。没後、国葬が行われた。

戦い続けるウラでつぶやいていた口癖

ドモナラヌ

(どうにもならない)

岩倉具視の口癖だ。

この言葉に象徴されるように、岩倉具視は、数多くの困難に直面しながら、幕末、維新の激動を生き抜いた人物だ。

岩倉は公家とはいえ、位は高くない。台頭してきたのは1854年、29歳で孝明天皇の侍従となってからである。

その前年、黒船が来航。世は風雲急の様相を呈していた。外圧に屈し開国へと舵を切った幕府を「弱腰」と批判し、「異国人を撃ち払え」と叫ぶ攘夷派の志士たちが反幕府の姿勢を強めていた。

そこで幕府は、朝廷との結びつきを強め、難局を乗り切ろうとした。そのために天皇の妹和宮が将軍家に嫁ぐこととなり、これを推進したのが岩倉だった。

しかし、これが尊王攘夷派を大いに刺激した。攘夷派の工作により、岩倉は「どうにもならない」状況にまで追い込まれる。官を辞し、落飾して都落ちした。寺をめぐり、のちには廃屋に近い家にひっそりと住みつく。かつて天皇の侍従でもあった人間が、世捨て人のようなみじめな生活を営むようになった

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人間愚痴大全

福田 智弘
小学館集英社プロダクション
2021-10-21

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なぜか勇気が出てくる 人間愚痴大全

福田智弘

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