まわりすべてが、 敵ばかりだ!」ザビエル

歴史に名を残す人物たちも、実は「愚痴」をこぼしながら生きていた! 渋沢栄一から夏目漱石、豊臣秀吉にナイチンゲールまで、人生の苦境で言わずにおれなかった愚痴150篇。女性への未練、お金の無心や仕事の焦り、家族への恨みなど現代人と変わらない不平不満です。読めばなぜか勇気がわいてくる、愚痴ノンフィクション! 10月21日発売の新著『人間愚痴大全』より特別公開します。(提供元:小学館集英社プロダクション)

40代、仕事にまつわる愚痴

ザビエル(宗教家)


1506年-1552年。ナバラ王国(のちにスペインに併合)出身。イエズス会の創設メンバーの一人。アジアへの布教を行い、1549年、鹿児島に上陸し日本にキリスト教を伝える。中国への布教も志したが、果たせずに病死。1622年、列聖。

満足のいく成果が出せなかった日本での布教

日本に初めてキリスト教を伝えた人物として知られるザビエル。彼が11歳の時、ドイツでルターが「95カ条の論題」を発表。宗教改革がはじまり、プロテスタント(新教)が徐々に広まっていった。

そんな時代背景の中、成育したザビエルは、ロヨラらとともにカトリックの教団「イエズス会」を設立する。徐々にプロテスタント(新教)が広まる中、カトリック(旧教)の伝道を強化すべく、イエズス会は積極的に海外へも進出した。

当初、アジアへは別の会士が派遣される予定だった。しかし、出発の日が近づくと、その会士が体調を崩してしまう。自身も病で臥せっていたロヨラが対応に苦慮していると、ザビエルは

私がここにいますよ

と声をかけ、自らアジア行きを志願したという。

当時、大陸を移動するには船に頼るしかなかった。しかも、その頃の技術では季節風などの影響により何カ月も経由地で待機を余儀なくされることもある。それでもザビエルは、いかにもそれが自身の使命であるかの如く、苦難の旅を受け入れ、アジアへと出港した。旅立ちの日はちょうど彼の35歳の誕生日だった。

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なぜか、勇気が出てくる。不平不満の150篇。

人間愚痴大全

福田 智弘
小学館集英社プロダクション
2021-10-21

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なぜか勇気が出てくる 人間愚痴大全

福田智弘

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sabochin 日本は他と何が違ったんだろうな 25日前 replyretweetfavorite