​岩村の七蔵

【第28話】古典作品をボーイズラブ化した大好評シリーズ『BL古典セレクション』待望の新連載!「海道一の親分」として明治初期に名をはせた侠客、清水次郎長。その養子であった禅僧・天田愚庵による名作『東海遊侠伝』を、作家・町田康が自身初のBL作品として、圧倒的な鮮やかさをもって現代に蘇らせる。月一回更新。

 天保十三年九月。次郞長が寺津の賭場を見回っていると、

「清水」

 と後から声を掛けてくるものがあった。今ではすっかり兄哥株となった次郞長はこれがおもしろくなく、

「なにが清水、だ。気安く呼びゃあがって」

 とむかっ腹を立てて振り返ったが、その顔を見て、表情を和らげ、

「おお、気安く呼びやがるから誰かと思ったら吉左さんじゃねぇか。このところ暫く合わなかったが、お達者ですかい」

 と言った。

 吉左さんと呼ばれた男は三好の吉左衛門。寺津の治助の兄弟分である。となればやくざ社会においては次郞長にとっても親戚、さほど付き合いはなかったが、次郞長はなんとなくこの男が好きで、そのうちゆっくり話がしたい、と思っていた。しかしお互いに見回りや揉め事の解決に忙しく、なかなかその機会に恵まれなかったのであった。

 吉左衛門はその次郞長に言った。

「ちょっと、おまあんに折り入って頼みてぇ事がありましてね。少し許、付き合ってもらえませんかねぇ」

 好きな男に頼み事をされた次郞長、一も二もない、

「よろしゅうござんす。お、鶴、てめぇ、俺は今からこの吉左衛門さんと話があるから、まず、あすこに行ってああして、次にあすこに行ってこうして、こうしてこうしてこうするんだぞ。わかったか」

「わかりました」

「よし、じゃあ、俺が今、言ったことをもっぺん言って見ろ」

「忘れました」

「ぶち殺す」

「思い出しました。まず、あすこに行ってああして、次にあすこに行ってこうして、こうしてこうしてこうするんでごぜぇあすね」

「うん、そうだ。じゃあ、行ってこい」

「へい」

 と自分の代わりに若い奴を行かせて次郞長、吉左衛門と連れだって、いつも行く「吉田屋」という茶屋旅籠に向かった。


「邪魔するで」

 と言いながら敷居をまたぐ。寺津一家はいつもここんちを贔屓にしているから、

「これはこれは三好の貸元に清水の次郞長様、お揃いで、どうもいらっしゃいまし。これ、早うおすすぎもてこう」

 と愛想がよい。

 奥の好い座敷に案内をされて、「みつくろってな」と言うと、やがて酒肴が運ばれてくる。横に座ってなにか愛想を言っている女中を、吉左衛門、下がらせて、障子唐紙をぴったり閉めると、膳を脇に避け、身をグッと乗り出してきた。


「い、いきなり?」

 と当惑した次郞長は思わず身を固くした。しかし次の瞬間、吉左衛門は意外な行動に出た。

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BL古典セレクション 東海遊侠伝 次郎長一代記

町田康

古典作品をボーイズラブ化した大好評シリーズ『BL古典セレクション』待望の新連載!「海道一の親分」として明治初期に名をはせた侠客、清水次郎長。その養子であった禅僧・天田愚庵による名作『東海遊侠伝』を、作家・町田康が自身初のBL作品として...もっと読む

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chorusoekaki 次郎長だー! |町田康 @machidakoujoho |BL古典セレクション 東海遊侠伝 次郎長一代記 https://t.co/roLQ45P5Ca 約1ヶ月前 replyretweetfavorite