街へ出ると、涙が出た。いくら拭いても出てきた」直木三十五

歴史に名を残す人物たちも、実は「愚痴」をこぼしながら生きていた! 渋沢栄一から夏目漱石、豊臣秀吉にナイチンゲールまで、人生の苦境で言わずにおれなかった愚痴150篇。女性への未練、お金の無心や仕事の焦り、家族への恨みなど現代人と変わらない不平不満です。読めばなぜか勇気がわいてくる、愚痴ノンフィクション! 10月21日発売の新著『人間愚痴大全』より特別公開します。(提供元:小学館集英社プロダクション)

30代、お金にまつわる愚痴

直木三十五(小説家)

1891年-1934年。大阪生まれ。本名、植村宗一。本名の「植」の字をばらした「直木」に年齢を付けた「直木三十一」をペンネームとし、以後「三十二」「三十三」と来て「三十四」を飛ばして「三十五」で定着。代表作『南国太平記』など。

貧乏でも、決して不幸ではなかった作家

「直木賞」にその名をとどめる小説家直木三十五。生涯を通じて、お金に苦しんできた人間だ。その状況は本人の筆による『貧乏一期、二期、三期 わが落魄の記』や『死までを語る』などの自叙伝に詳しい。

まず、生まれた家が貧乏だった。『貧乏〜』には、生家は玄関と奥座敷あわせて四畳半だった、とあり、『死〜』には、三間だったとあるが、いずれにせよ、かなり狭い家だったようだ。

幼少期には「玩具をもった記憶がない」し「殆ど、間食をした記憶もなかった」という。唯一の間食(おやつ)は「焦げた飯を握った」ものだった。

その後、家の手伝いをしたり、代用教員をしたりしたのち、上京。20歳で早稲田大学に入学する。しかし、残念ながら直木の学生生活は、中途で除籍となって終わる。主たる理由は学費が払えなかったからだ。この頃、直木はのちに妻となる女性と同棲していた。家賃など生活費に困窮していたため、学費が払えなくなったのだ。やがて長女も生まれる。本格的な貧乏生活がはじまっていく

本を売り、着物を質に入れ、翻訳などの仕事も行ったが、もちろん満足な収入にはならない。妻のほうに仕事の口があった時には、直木が主夫のようになって子どもの面倒を見たという。

27歳の時に知人と出版社を創設してトルストイの全集を出した。これは当たった。これで一旦は貧乏生活から解放された直木だったが、以降、金に困らずに過ごせたわけではない。

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人間愚痴大全

福田 智弘
小学館集英社プロダクション
2021-10-21

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なぜか勇気が出てくる 人間愚痴大全

福田智弘

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