サクちゃんへ
こんにちは。
京都ではきのう雨が降り、今朝はぐっと冷え込んでいます。
この間の日曜に納車が終わり、それ以来初めての週末を迎えました。昨日は家族とともにドライブをして、大原三千院まで行ってきたのですが、緑が深くて気持ちよかったです。
京都に住んでもう15年ほど経ちますが、まだまだ行ったことのないところが多いです。車だといろんなところへ気軽に行けるのだなと改めて実感し、ふつふつとその自由さに感動を覚えました。帰りに寄ったショッピングモールの屋上駐車場で「私は自由を手に入れた」とつい呟いてしまったほどです。子供はびっくりしていましたが。
これから、いろんなところへ行ってみようと思います。
ー・-・-
“おそらくだけど、わたしも蘭ちゃんも、共通して「自我が強い」のだと思うのよね”
とサクちゃんは前回の日記で書いていましたが、いや、ほんとですよね。私たちは自我が強い。「自我」という大きな芽みたいなものを、心に持っているんだと思います。
その芽は踏まれたり摘まれたりしながらも、しつこく私たちの心に根を張り続けて、こうして文章を書かせているのでしょう。
私たちが「考えすぎ」だと言われるのも、自我が強い証拠なのかもしないですね。
外のものに芽が触れて「痛い」とか「こそばゆい」とか反応する。「どうしてこっち側に伸びると痛いのかな」「どうして窮屈なのかな」と疑問に思う。それで自分の芽の伸び方と、外のものとの距離を推し量ったり調整したりする。
私もよく「生きるって何?」「幸せって何?」と聞く子供でしたが、「考えすぎだ」とやっぱり言われました。でもこの芽がこの世界でどのように存在すべきなのか、今でもよくわからないのです。「わからない」というのは、この芽自体を持つことに少し苦しさやしんどさがあるからだと思います。
いまだに「生きるって何?」なのか、私にはわかりません。もちろん「幸せ」も。
考えても仕方ないことだと言われつつも、やっぱり私は考えてしまう。もしかしたらそれが私の「生きる」ことなのかもしれないし、答えらしきものを都度見つけていくことが「幸せ」なのかもしれません。