運命の人は自分で見つけてみせる―『舞姫』6

物語の神は言った、「男が中心に存在してこそ正しい物語である」と。そんな神の支配する世界に生きる内気な姫さよが次に飛ばされた物語の世界は、『舞姫』。海外小説の翻訳に取り掛かった彼女は、堅苦しい翻訳から言葉を解放し、思わぬ絶賛を受ける。そんな中、この地で出会った二人目の男性、エリクと再会を果たしたが…。河出書房新社から好評発売中、雀野日名子さんの痛快エンタメ小説をお届け。(提供元:河出書房新社)

豊子とよこはこれまで以上に精力的に文芸雑誌に寄稿した。豊子の文体や選ぶ題材は批判の的となるいっぽうで支持者を増やしていく。豊子に批判的な文学結社があえて寄稿を求めてくることもあった。豊子は意図を察し、正統派の文語体で邦訳した。結社は肩透かしを食らった。「細田豊子は格調高い文章が書けないから口語体で奇をてらい、新風を吹きこんだ気になっている」と叩くつもりだったからだ。彼らは苦しまぎれに「私小説や家庭小説ではなく社会小説を女性が訳することには無理がある」と批評した。

騎士のような語り口や宮廷風の筆使いなど、豊子はその場を生きてきたかのように使い分け、物語に命を吹きこんだ。日本語の概念にはない「Waldeinsamkeit」も、保守派は「森の如き場所に独り取り残されたかの如き孤独」と注釈を付けて訳したが、豊子は状況に応じて「私を分かってくれる人は誰ひとりいない」「分かろうとしてくれる人だっていない」「笑ってみせているけれども心はひとりぼっち」「ひとりぼっちでいればいるほど、心には寂しさよりも静かさが満ちてくる」と、原作者の心を読み解きながら日本の読者に届けた。こうした積み重ねを続ける豊子には依頼が舞いこみ、為替かわせの額面も亡父の給金を超えた。それを元手に豊子は書斎を充実させ、書棚から溢れる資料をもとにさらなる物語を日本に送り出していった。

やがて日本の独逸学協会が、日本の古典籍を蒐集するプロイセン貴族に豊子の訳書を紹介した。その貴族は訳書をサロンで紹介し、プロイセンの大手新聞社の知るところとなった。クリスマスの新聞紙面には豊子を取材した記事が掲載された。これまでの日々を感謝とともに振り返り、女学校を設立して自分にしか教えられないことを伝えたいと語る写真のなかの豊子は、コルセットなしで服を着て大きな書棚を背にし、タイプライターや分厚い辞典を置いた広い机に向かっていた。その記事の隣には、ゲルマン神話の精神性を説くリヒャルトの寄稿が掲載されていた。

この取材がきっかけとなり、豊子はPreußen Tagebuch(プロイセン日記)と題した新聞連載を始めることになった。異郷の地で見る「月」への考察を、かぐや姫を紹介する形で書いた随筆は反響を呼び、以降、当初の二倍の記事欄を与えられた。教え子に場所を譲る結果となった「ゲルマン神話精神論」は、紙面の片隅に縮こまるようにして掲載されるだけとなった。


「公使夫人はご機嫌斜めでしてよ」

豊子の部屋で復活祭の菓子をつまみながら、相沢郷あいざわごうは肥大化した書棚を眺める。

「私もいい迷惑ですわ。あなたの訳を持ち帰らないとお給金がいただけないんですもの」

相沢郷はこれ見よがしにあくびをしてみせ、豊子は机に向かったまま笑みを浮かべる。

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かぐや姫、物語を書きかえろ!

雀野日名子
河出書房新社
2021-11-02

この連載について

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かぐや姫、物語を書きかえろ!

雀野日名子

物語の神は言った、「男が中心に存在してこそ“正しい物語”である」と。 そんな神の支配する『竹取物語』の世界に生きる内気な姫さよは、帝の后選びの場で勝気な姫ごうに出会う。自由を求め物語の神に反旗を翻した二人は、『源氏物語』から『平家...もっと読む

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