数日後、
そこにちょうど、所用を済ませた
異国で初めての新年を迎えて二ヶ月が過ぎた頃、母から返事が来た。入籍の際には日本から戸籍を送るので知らせよと書かれていた。国籍が変わっても私の娘であり日本のおなごである。同胞のおなごたちに道を開くために、さらに
三月に入るとリヒャルトは転居先を探し始めた。五月から高等教育局に勤務することになったのだ。将来を見据えて探してきたのは郊外の一軒家で、間取り図を見た豊子は未来の生活に胸をときめかせた。北向きの小部屋は書斎にさせてもらおう。タイプライターを置いたまま本を広げたり書き物をしたりできる机。そして百冊ほどの本を置ける棚。父の遺品である二千冊の書物を戸籍と一緒に送ってもらうつもりだが、屋根裏部屋が書庫の役目を果たしてくれるだろう。
だがリヒャルトは、豊子の机は寝室の隅に置くと言った。「タイプライターの音がしても僕は熟睡できます」と微笑むが、寝室の隅では化粧台ほどの机しか置けないし本棚も入らない。ならば屋根裏部屋を書庫兼用の書斎として使いたいと豊子が言うと、「屋根裏は使用人が寝起きする場所ですよ?」と返された。
「あなたは文部省官吏の夫人となるのですから、日常的な家事は使用人にさせるべきです。そもそも使用人がいなければ毎朝の身支度の際に、誰があなたのコルセットを締めるのですか?」
外出しない時でもコルセットを? 豊子は耳を疑った。
「あなたには今後も、品位と教養をあわせもつ女性であってほしいと願っています」
リヒャルトは豊子に微笑みかける。その眼差しは「見守る者」から「監視する者」のものへ変わっており、豊子にはそれがあの「大きな目玉」に重なって見えた。
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