おなごだって死に際を語り継がれてみたい―『仮名手本忠臣蔵』6

物語の神は言った、「男が中心に存在してこそ正しい物語である」と。そんな神の支配する世界に生きる内気な姫さよと、勝気な姫ごうは『仮名手本忠臣蔵』の世界にいた。竹月院の説得により討ち入り計画は中止となった。彼女たちの無念さを晴らすためにも独自の歌舞伎を演じることになった軽だが、そこにはとんでもない仕掛けが…。河出書房新社から好評発売中、雀野日名子さんの痛快エンタメ小説をお届け。(提供元:河出書房新社)

〖おなごたちのお目覚め〗


結局、討ち入り計画は中止となった。

どうがんばっても三百両もの大金をひと月で作れるはずがない。金貸しだって「財力のある親族」という担保のない女には一両だって用立ててはくれない。いくら誇り高い志を持っていても、先立つものがなければ叶えられやしない。竹月院の算盤そろばんが突きつけた無慈悲な現実に、女たちの心はへし折られてしまったのだ。

大奥入りの日も近い元女中のキヨに相談しようと提案する者もいた。だがまだ嫡男を産んでいないキヨの立場では、十両ほど都合をつけてもらうのが精一杯だろう。ちなみに竹月院が貯めこんでいるという噂は消えた。女郎の世界で金銭への嗅覚を鍛えてきた神崎の奥方が、竹月院の懐具合を見抜いて女たちに話したからだ。

竹月院は瑤泉院ようぜんいんに報告の文を送った。あれほど苦手だった筆が流れるように動いた。

〈諸々ご報告が遅れました非礼をご寛恕頂きたくそうろう貞立尼ていりゅうにさまやおりくさまを交えて討議を重ねましたる結果、仇討ちは中止の運びとなりまして候。つきましては光陰寺にて合同法要を執り行います故、瑤泉院さまには是非とも御参席頂きたく候〉

神社のご利益でかるのあざが完治したことと、自分が自在に読み書きできるようになったことも報告した。いつも十日で文を返す瑤泉院だが、半月経っても返事はなかった。

そんな折、歌舞伎の山村座が江戸から巡業に来た。「もし四十七士が吉良の首を取っていたら」という筋書きを鎌倉時代の仇討ち話になぞらえて作ったのだが、公儀のおとがめを受けて書き直したら、お粗末なものになってしまったのだそうだ。山村座は軽から竹月院のことを聞き、当事者にしか生み出せない原案を書いてほしいと言ってきた。漢字が読めるようになったばかりなのに西鶴や近松の真似なんてとてもできないと固辞したが、軽に「姉さまなら書けるよ」とおだてられて文机ふづくえに座らされると、不思議と懐かしい気持ちに包まれるのだった。

構想を練るために宵の境内へと出向くと、次席家老の奥方が月を眺めていた。竹月院に気づいた彼女は、「あの算盤は討ち入りを断念させるための策だったのですね」と微笑んだ。

「せめて歌舞伎のなかで無念を晴らしてやってください。男の無念だけでなく、このたび集まったおなごたちの無念も」

帰宅した竹月院は文机に向かった。男たちの無念は吉良の首を掲げて凱旋する結末にすればまとめて晴らせるだろうが、女たちが抱える苦悩は様々で複雑で、どう仇討ち物語に絡めていけばいいのか、どうすれば歌舞伎のなかで昇華させればいいのかと悩まされる。

筆を置いて夜空を仰ぐと、月が微笑んでいる。月を眺めて考えにふける竹月院を、両足を投げ出して座る軽が眺めている。

        *

嵐山の紅葉が色づき始めた頃、光陰寺の中庭に設営した舞台で歌舞伎が披露されることになった。題目は『いろはうた忠臣蔵』仮名の数が四十七であることに由来する。

濡れ縁には竹月院を含めた三十四人が数珠や位牌を手に座している。夫の役職順に座順が決められたので竹月院はりくと並んで座ったが、どちらからも何も話さなかった。軽は舞台裏の楽屋を見物に行き、瑤泉院は結局来なかった。

幕開きを知らせる拍子木が響いて松の廊下が現れ、序段が始まった。内匠頭たくみのかみが無念の切腹を遂げるまでを描いた部分だ。劇中で実名を出すのはご法度だが今日は特別である。父や夫が内匠頭に恩を受けた奥方たちのあいだから、すすり泣きが漂い始める。

舞台は二段目へ進み、四十七人が生きていたらどのように心願を成就したかが描かれる。舞台の中央では内蔵助くらのすけを演じる役者が腕組みしてあぐらを組み、苦悩の表情を浮かべている。舞台の右袖から三人の役者が現れ、内蔵助に討ち入りを迫る。左袖からも三人が現れ、冷静になれとなだめる。役者たちは見事な早変わりで一人が三役も四役も演じ分け、鑑賞する女たちは自分の「夫」や「息子」が登場すると涙ぐんだり、懐かしそうな眼差しを向けたりする。りくも「主税」が「内蔵助」と真面目に語らう様を見ると頬を涙で濡らし、手拭いで鼻をかんでいた。

場面が変わり、男たちが苦悩する姿が描かれる。討ち入り計画を秘密にしたまま、訣別の準備を始めなくてはならない。ある者は酒に溺れ、ある者は妻に「そなたさえいなければ」と吐き捨て、ある者は唐突に離縁状を残して去っていく。舞台左側では「妻」や「母」を演じる女形たちが忍び泣き、右側では浪士役の役者たちが客席に向き合って心のうちを告白し、詫びの言葉やこれまでの感謝を語る。鑑賞する女たちはむせび泣き、貞立尼はたもとでそっと目元を押さえた。

またもや舞台は変わり、最後の段へと移る。江戸に集結した四十七人が貧苦の潜伏生活に耐えた後、見事に討ち入りを果たして凱旋するまでが描かれる──はずだったのが、どうしたことか、始まったのは、竹月院が書いたものとはまるきり違う展開だった。まず登場したのは、伝令役に命じられながら水あたりで命を落とした寺坂吉右衛門と、寸暇を惜しんで書を読みながら歩いたため、つまずいて死んだ奥田孫太夫である。

質素な夕餉ゆうげを取る寺坂の横で若い女がかいがいしく世話を焼き、寺坂は鼻の下を伸ばして椀を受け取っている。次の瞬間、寺坂は腹を押さえて倒れ、拍子木がチョチョンと鳴り、「あのおなご。五日も前の生牡蠣を汁物に入れおった」と呻き、黒子たちに舞台袖へと運ばれる。

続いて奥田が書を読みながら反対側の舞台袖から現れ、どぶ板を踏み抜いて昏倒、書だけは離すまいと弱々しく手を伸ばす。拍子木がチョチョンと鳴り、「あいや無念、最後まで読みとうござった」と事切れる。手元の書がぱらりと開き、春画が現れた。

女たちは凍りつき、竹月院は頭が真っ白になる。江戸での潜伏生活を送るうちに田舎出の浪士たちは良からぬ遊びを覚えるようになり、討ち入りに備えて膝を治すと言って飯盛女めしもりおんなのいる湯治場に通ったり、妻や母が着物を売って作った金子きんすで妾にかんざしを買ってやったり。何人もの浪士が美人局つつもたせに引っかかり、内蔵助に言うわけにもいかず、赤穂の妻や母に「薬代をお送りいただきたく候」などと文を送ったり。その内蔵助は「仇討ちもできない無能な腰抜け」のふりをして世間を欺くために遊郭に入り浸っていたというが必ずしもそうでもなく、長男主税がひいきにしている芸者に手を出し、主税ちから自棄やけを起こして去っていく。

七変化の役者たちはこれぞ男の江戸生活と言わんばかりの享楽絵図を展開し、浪士たちは飲みすぎ遊びすぎのあげく、「あいや無念」と倒れていく。そしてチョチョンと拍子木が鳴り、あっさりと幕は引かれた。

女たちは沈黙するばかりだった。それぞれに思いあたる節があるのだろう。

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かぐや姫、物語を書きかえろ!

雀野日名子
河出書房新社
2021-11-02

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かぐや姫、物語を書きかえろ!

雀野日名子

物語の神は言った、「男が中心に存在してこそ“正しい物語”である」と。 そんな神の支配する『竹取物語』の世界に生きる内気な姫さよは、帝の后選びの場で勝気な姫ごうに出会う。自由を求め物語の神に反旗を翻した二人は、『源氏物語』から『平家...もっと読む

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