未亡人は夫の後を追うなんて馬鹿らしい」―『仮名手本忠臣蔵』4

物語の神は言った、「男が中心に存在してこそ正しい物語である」と。そんな神の支配する世界に生きる内気な姫さよと、勝気な姫ごうは今度は『仮名手本忠臣蔵』の世界にいた。竹月院が軽に誘われて神社に行くと、そこに後に残された未亡人たちの「願掛け」と称した思わぬ本音が溢れているのであった。河出書房新社から好評発売中、雀野日名子さんの痛快エンタメ小説をお届け。(提供元:河出書房新社)

満月が輝く月媛つきひめ神社は手提灯がなくても歩けるぐらい明るく、家族同伴の町娘だけでなく、頭巾で顔を隠した女たちも参拝に訪れている。銅銭を包んだ紙をそっと投げこみ、沈んだのを見届けると長々と手を合わせ、人目を避けるようにして去る。

女が男の戦に翻弄される世は終わったとはいえ、竹月院は縛られずに生きる女と出会ったことがない。筆問屋の一人娘いとはんは商いの目端が利いて算盤そろばんにも長けていたが、女に大店おおだなを継がせることはできないと、縁戚の次男坊を婿に迎えた。自分より劣る婿を「旦那さま」と呼ぶ一人娘は、焼き型で押し固められた人形焼のよう見えた。

農村から年季奉公に来た娘たちのことも思い出す。母恋しさに泣いていたはずが、いつしか母や祖母を哀れんで泣くようになった。村の女は男と同じ働きをさせられるうえに、赤子の世話や飯炊きや洗いもので休む暇もなく、食事にありつけるのも男たちの後だ。だが奉公人は男と女の仕事が区別されていて、飯も男の残りものではないと。

そんな彼女たちは斡旋人ひとぬしから「奉公期間中は恋愛しない」という、男の奉公人には課せられない誓約をさせられたりしていたのだが、それでも母や祖母を差し置いて自分だけが恵まれた暮らしをするのは申し訳ないと言っていた。そのうち何人かは若旦那ぼんに手を付けられて腹が膨らみ、筆問屋を追い出された。

「勝ち組のおなご」と言われているのは浅野家の女中だったキヨだ。次の将軍候補に寵愛されるキヨは、やがて大奥の一員になるだろう。だが寵愛を失ったり世継ぎを産めなかったりすれば退場あるのみだ。寵愛を失っても御年寄や御中臈おちゅうろうとして権力を持つ女もいるが、その資格があるのは旗本や上級武士の娘だけだ。

男はおなごよりも生きづらいのだぞと、内蔵助くらのすけに諭されたことがある。武士は主君やお家のために死ななくてはならず、自由気ままに生きているように見える旅がらすでも、渡世の義理や仁義に命を賭けなくてはならないのだと。だが竹月院は思う。男はある程度、自分の歩く道を自分で決めることができる。女が歩く道は男や家に示された道だ。

女にとって生家は仮りそめの家で、帰るべき家は婚家だと、手習いのときに教えられた。竹月院はときどき、自分が「可留かる」という名に生まれて「竹月院」の名で生きていること自体が仮りそめではないかとの思いに囚われる。

「ほら姉さま、奥田と堀部の奥方たちが来たよ。三番家老の奥方もおる」

竹月院の隣にしゃがむかるがささやく。ふたりがいるのは池を見下ろせる竹林の物陰だ。

「鳥居の横で様子見してるのは吉田の奥方たちだよ。次席家老の奥方まで来るとは、あざが消えた話がよほど響いたのじゃ。沈めた紙をわれらに読まれるとも知らずに」

竹月院は驚いて軽を見る。軽はたもとから小さな薬壺を取り出した。

「二滴ばかり紙にかければ文字が浮かび上がるよ。芝居小屋の手妻師てづましから習うたのじゃ」

「ひとさまの願掛けを覗き見するなんて、よろしゅうおへん」

「討ち入りに反対してた者らが賛成に宗旨替えしたのは、姉さまと同じ穴のむじなだと思われたくなかったからじゃ。姉さまはかかさまに文を送ったろ? 討ち入りが決まったりしたら、内蔵助からせしめた金を出さねばならなくなると」

「そないなこと書いてしまへん。頭の隅にも思ったことすらあらしまへん」

そもそも内蔵助に渡されたのは、現在住まいにしている廃屋同然だった古い蔵だけだ。

「りくどのがそう言うたのじゃ。皆さまにはじゅうぶんな金を分配したかったけど、内蔵助は後妻に鼻毛を抜かれてしもうて、離縁された元嫁は口出しができなんだと」

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かぐや姫、物語を書きかえろ!

雀野日名子
河出書房新社
2021-11-02

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かぐや姫、物語を書きかえろ!

雀野日名子

物語の神は言った、「男が中心に存在してこそ“正しい物語”である」と。 そんな神の支配する『竹取物語』の世界に生きる内気な姫さよは、帝の后選びの場で勝気な姫ごうに出会う。自由を求め物語の神に反旗を翻した二人は、『源氏物語』から『平家...もっと読む

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