仕組まれた会談、嵌められたのは誰―『仮名手本忠臣蔵』3

物語の神は言った、「男が中心に存在してこそ正しい物語である」と。そんな神の支配する世界に生きる内気な姫さよと、勝気な姫ごうは今度は『仮名手本忠臣蔵』の世界にいた。赤穂浪士の未亡人たちは自分たちで討ち入りしようと躍起になるが、そこには謎の思惑と仕掛けがあり、竹月院は嵌められてしまったのだった。河出書房新社から好評発売中、雀野日名子さんの痛快エンタメ小説をお届け。(提供元:河出書房新社)

【女心と秋の空】


瑤泉院ようぜんいんさまからおとがめの文を頂戴しまして。私も気にはしとったんです。けれど離縁された元嫁がしゃしゃり出たら、可留かるさん、ああ今は落飾らくしょくして竹月院さんですわね、あなたさんの立場を潰すことになりますから」

「うちは名ばかりの嫁にすぎまへん。どうぞお上がりやす」

幼い息子と娘を連れたりくは「但馬たじまの菓子です。皆さまで」と、ずしりと重い風呂敷包みを竹月院に手渡すと、みしりと床板を鳴らして廊下に上がる。板間に集まる遺族は、みしみしと音を立てて現れたのがりくだと知るとざわめき、最前列に座るように口々に呼びかける。だがりくと幼子たちは板間の入口で両手を付き、深々と頭を下げた。

「のこのこと今頃参りまして、皆さまに合わせる顔がございませぬ。私は内蔵助の嫁を十五年務めて五人の子を産んだ身。年若い後添えに任せっきりにするとは無責任じゃと瑤泉院さまにお叱りを受け、参じました次第でございます」

貞立尼や次席家老の奥方は「お顔を上げられませ」「ささ、こちらに座られよ」と手招きする。再度遠慮したりくは三度目の声かけで慎ましやかに立ち上がると、子どもたちの手を引いてずしずしと最前列に進み、どしっと腰を下ろす。貞立尼ていりゅうにが話を切り出した。

「早速ではあるが、おなごの討ち入りに賛同なさるか? そなたの一声で決まるのじゃ」

「私ごときが口出ししましたら、あの世の内蔵助くらのすけ主税ちからが嘆き悲しみましょう」

内蔵助の長男主税は十六歳だったが、討ち入り計画の消滅とともに燃え尽きたという。竹月院は主税とは面識がないままで、同席の子どもを見るのも今日が初めてだ。

「討ち入りの意志を表明されてこそ、内蔵助どのと主税どのの供養になりますぞ」

貞立尼が力強く声をかけると、次席家老の奥方もいたわるように言葉をかける。

「おなごが男に代わって討ち入りなどすれば、男はどれほど恥をかかされましょう」

りくは「竹月院さん」と、板間の隅に控える後妻に声をかけた。

「お使いだてをしてすみませんけど、先ほどの手土産を皆さまに」

竹月院は気が回らなかったことを詫び、預かった風呂敷包みを抱えてお勝手へ向かう。重箱によもぎ羊羹が四十七切れ入っていた。とりあえず三十二人分、一切れずつ分けることにした。

竹月院がせっせとお茶運びをするいっぽうで、りくは集まった女ひとりひとりに声をかけて回っている。「三味線指南を始められたからと、なにを恥じられますか。長唄が好きだった旦那さまの供養になりますよ」と笑顔で励ましたり、「分配金を目減りさせてはならぬと、この細腕で甘酒売りを始められたとは」と手を取って涙ぐんだりし、場の空気をなごませている。

羊羹を配り終えた竹月院はお勝手に戻り、呼ばれないかぎり顔を出さずにおくことにした。そもそも竹月院のような女中あがりは武家の女の集いには受け入れられないのだ。

一刻ほど過ぎた頃、手配しておいた料理屋の仕出しが届いた。貞立尼と次席家老の奥方はりくと膳を並べてしみじみと語りあい、他の遺族も箸を動かしながらりくの語りに耳を傾け、ときおり笑い声も上がる。そっと様子を窺っただけの竹月院には話の内容は拾えなかったが、りくには話術の才も備わっているのだろう。

語らいは女たちに時を忘れさせるようで、幼子たちが母親の膝枕で眠りこける頃になってもお開きになる気配はなかった。竹月院は、残しておいた十五切れの羊羹を切り分けてお茶を出し直そうと考えたが、重箱を開けると七切れしか残っていなかった。かるが食べたのだろう。いつ蝉取りから帰ってきたのかと突き当たりの納戸なんどに様子を見に行く。

貞立尼や次席家老の奥方たちに住まいを占拠されて以降、竹月院は納戸に自分の寝具を移している。すると軽も自分の寝具を運びこんできた。「ひとり寝が嫌なんてお軽さまは稚児ちごみたい」と竹月院が笑うと、軽は「添い寝が必要なのは姉さまだよ」と竹月院の喉元のあざに触れた。「姉さまは眠りながら泣いておる」と。

たしかに竹月院はしばしば悲しい夢を見る。貴族の屋敷や東国の寺で書物に囲まれているのだが、どれもさっぱり読めないという夢だ。読めないと思いこまされているだけですよと月が語りかけてくるのだが、読めないものは読めず、みじめな気持ちで書物を閉じ、目が覚めるのだった。

蚊帳かやのなかで大の字になる軽は枕元に虫かごを置いたまま、浴衣の裾をはだけて眠りこけている。そこにちょうど坊やをかわやに連れていく奥田の若奥方が通りがかり、ちらりと納戸を見やった。先日のような懐かしそうな目をし、やがて視線をそらし、坊やの手を引いて去っていった。

お茶を出し終えた竹月院は「お子らの寝ござだけでもお敷きしましょうか」と声をかけた。不要だと言われ、「いつでもお声をかけておくれやす」とお勝手で休むことにした。窓ひとつない納戸にいると妙な焦燥感に襲われるからだ。ここから出なくてはならない、出て、戻るべき場所に戻らなくてはならないと。

だがどこに戻ればいいのか分からない。筆問屋や故郷を思い浮かべても帰りたいという思いは湧かないのだが、軽と出かける先々で心がざわつくことがある。『竹取物語』の時代に餓死者が溢れていたという鴨川のほとり。『源氏物語』の主人公の邸宅があったあたり。『をんな義経』の義子が静御前と暮らしていたという堀川小路の界隈──。格子戸から漏れ差す月明かりが蚊遣りの煙ににじむ。竹月院はいよいよ落ち着かなくなる。

お勝手の壁にもたれてうとうとしていた竹月院は、女たちのがやがやした気配で目を覚ます。既に朝を迎えていた。急いで板間に向かうと、女たちは身支度を終えようとしている。竹月院は板間の入口に両手を付き、寝過ごしたことを詫びた。

堪忍かんにんです。もうすぐ朝餉の仕出しが来ますさかい」

「私らはおいとまします。長い間まことに世話になりました」と次席家老の奥方が微笑む。

「長らく世話になりもうした。お軽さまが目覚められたらよろしゅうお伝えを」

貞立尼も会釈するが、竹月院に向ける視線にはこれまでとは異質な厳しさがある。遺族たちの雰囲気から賛成派と反対派の溝が埋まったように感じられるが、竹月院に向ける眼差しには昨日まではなかった反感と蔑みの色がある。

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かぐや姫、物語を書きかえろ!

雀野日名子
河出書房新社
2021-11-02

この連載について

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かぐや姫、物語を書きかえろ!

雀野日名子

物語の神は言った、「男が中心に存在してこそ“正しい物語”である」と。 そんな神の支配する『竹取物語』の世界に生きる内気な姫さよは、帝の后選びの場で勝気な姫ごうに出会う。自由を求め物語の神に反旗を翻した二人は、『源氏物語』から『平家...もっと読む

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