屋島の合戦は思わぬ終わりを遂げ、そして二人は―『平家物語』8

物語の神は言った、「男が中心に存在してこそ正しい物語である」と。そんな神の支配する世界に生きる内気な姫さよと、勝気な姫ごうは今度は『平家物語』の中にいた。義子は祝言の席を抜け、屋島の合戦に一人で挑むことになる。そこには荒れ狂う武士たちとの力の勝負が待ち受けているのだった。義子には、弓矢一本しか手元にない。河出書房新社から好評発売中、雀野日名子さんの痛快エンタメ小説をお届け。(提供元:河出書房新社)

砂浜に舟が乗りあげたのは夜明け頃のこと。船酔いと寒さで波打ち際で倒れていた義子よしこは、海女たちに助けられた。義子が源氏の武人だと知った彼女たちは、合戦場には行くなと引き止めた。女人にょにんひとりが平家の兵をひとりふたり射殺いころしたところで、何も変わりはしないのだと。だが義子の揺るぎない決意を知ると、竹水筒と馬と簡単な地図を用意し、送り出してくれた。

物語の神は屋島の源氏軍と海上の平氏軍を大増量した。『平家物語』は屋島の戦での兵数を具体的には記していない。したがって一万にしようが十万にしようが物語の神の勝手なのである。

屋島の合戦場に到着した義子は、茫然自失した。

海岸は見渡すかぎりが源氏の白旗で埋め尽くされ、海上は赤の軍旗を掲げる平氏の舟が水平線も見えないほど溢れかえっている。一ノ谷での兵数は源氏平氏それぞれ八万ほどだったが、今は五十万、いや百万、いや日本じゅうの男を集結させたとすら思われる数で目算などできない。源氏と平氏も前代未聞の兵数に困惑し、攻めあぐねている様子だ。

「何をしゃしゃり出てきた義子! 己の無能さをまだ自覚できぬか!」

数人の配下を従えた範頼のりよりだった。兵糧ひょうろうを読み違えた失態が響いているのか、部下たちの前で義子を叱責することによって自身の指導力を誇示しようとしている。

「源平の戦を終わらせにまいりました」

義子は海上の平氏軍と向き合い、波打ち際へと馬を進める。平家の舟から野次が飛んだ。

「一ノ谷の姫君大将ではないか! 赤いおべべでお出ましか!」

「女人は人形遊びでもしてなされ! 源氏の戦はおままごとじゃのう!」

平家の舟から笑い声が上がる。源氏の兵たちも黙ってはいない。

「合戦場は女人の遊び場ではござらぬ!」

「合戦に女人は不要じゃ!」

そのとき、沖合から一艘の小舟が源氏軍のほうへと漕ぎだしてきた。舳先へさきに立つのは立烏帽子たてえぼしと紅白の装束しょうぞくをまとった白拍子しらびょうし。風と波に揺れる舟でも凜と姿勢を保つ白拍子は、胸元から小さな扇を取り出すとさっと広げて右手で掲げ、射落とせるものなら落としてみよと手招きしてみせる。範頼は「女人おぬしのせいで平家に嘲られたではないか」と顔を赤くし、「あの扇を射落とす者はおらぬかっ!」と怒声をあげた。那須与一なすのよいちが名乗りをあげた。東国では知らぬ者のいない弓の天才である。

物語の神は「ごう」の舟を沖のほうへ遠のけた。これだけ離せば「義子」の小ぶりな弓では届かない。那須与一だけが射落とせるのだ。この男は『平家物語』に華を添える主要人物のひとりである。扇を見事に射落として開戦の火蓋を切り、壮大な戦物語はいよいよ盛りあがりを見せるのだ。そこに小娘ごときの入りこむ余地などない。

沖に引き戻されるように後退し、海岸との距離を大幅に開ける舟を見て、那須与一はたじろいた。しかも風は海から陸からと秩序なく吹き続け、豆粒のような扇は揺れるばかりで定まらない。

「あれだけ遠くては無理でございます! 神仏に課せられた試練としても、あまりに無慈悲」

「たわけっ! 源氏を末代まつだいまで笑いものにする気か!」

範頼と与一をよそに義子は海へと馬を進め、肩に担いだ矢筒から一本抜き、針穴のようにしか見えない扇の日の丸に照準を合わせる。範頼は「どこまで恥をかかせるか!」と義子を罵り、源氏軍からも平氏軍からも怒声や嘲笑が上がる。

──弓矢の鍛錬と引き換えに物語を与えられてきたなら、今度はその弓矢で物語を作るのじゃ。

あの月明かりの夜、湯殿で静はそう言ったのだ。

南無八幡大菩薩。もう御仏みほとけは信じない。信じるのは照準の先にいる戦友だけ。

義子は目を閉じて風の動きを読む。陸から追い風が吹いた瞬間、目を開けて矢を放った。

この続きは有料会員登録をすると
読むことができます。
cakes会員の方はここからログイン

1週間無料のお試し購読する

cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。

人気の連載

おすすめ記事

かぐや姫、物語を書きかえろ!

雀野日名子
河出書房新社
2021-11-02

この連載について

初回を読む
かぐや姫、物語を書きかえろ!

雀野日名子

物語の神は言った、「男が中心に存在してこそ“正しい物語”である」と。 そんな神の支配する『竹取物語』の世界に生きる内気な姫さよは、帝の后選びの場で勝気な姫ごうに出会う。自由を求め物語の神に反旗を翻した二人は、『源氏物語』から『平家...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

Tweetがありません