女義経、決戦に一人で挑む―『平家物語』7

物語の神は言った、「男が中心に存在してこそ正しい物語である」と。そんな神の支配する世界に生きる内気な姫さよと、勝気な姫ごうは今度は『平家物語』の中にいた。嫁入りの命を下された義子だったが、白拍子の助けもあって、「謎の女人消失」の原因を突き止める。この二人、この世界を変えられるか。河出書房新社から好評発売中、雀野日名子さんの痛快エンタメ小説をお届け。(提供元:河出書房新社)

静は下女に銭を渡して退がらせる。義子よしこは麻の沐浴衣ゆかたびらを着て湯盥ゆだらいに正座し、垂れ落ちた髪が湯に漂うのを見つめる。鴨川に浮く女人にょにんの死体が頭をよぎる。あの女人は御仏みほとけに救われただろうか。

「義子どの、仮祝言かりしゅうげんに応じるのか?」

浴用の肌着ゆもじを腰に巻いた静は、手桶で湯をすくって義子の肩を流す。

「それが武人の女人としての次の務めなら」

河越家の酒盛りの声は、離れの湯殿にまで聞こえてくる。

「義子どの、あの女人たちを妙に思わぬか? 男に人生を捧げる女人は数多見てきたが、あの者たちは常軌を逸しておるぞ」

「それが平家の女人なのでしょう。戦の世にあって、なおも源氏物語の世界を生きているのです。小袿こうちぎや化粧道具を持っていたでしょう? 都に帰ったら王朝の暮らしに戻るのよ」

「わらわは源氏物語は数帖しか読んでおらぬが、登場する女人には表情があったぞ。だがあの平家の女人には表情どころか顔がない。皆が同じ能面でもかぶせられたかのように見えるのじゃ」

えっ、と義子は静を振り返る。

「静どのにもそう見えるの? 私には、都の女人や捕縛された巴御前ともえごぜんがそう見えることがあったのです。そなたの姿を見失うこともあったゆえ、目や心に病が生じたのだと思うていました」

「わらわは、どのような消え方をしたのじゃ?」

「いつの間にかいなくなっていたの。自分の役目は終わったとでもいうように」

「わらわは別れも告げずに去ることはせぬ。そのように去られることも嫌いじゃ」

義子の肩にかかる髪をのけようとした静は、手を止めた。

「わらわと同じ場所に、あざがあるのだな」

背中に矢傷のようなあざ、首には刀傷のようなあざ。生まれつきのものだ。

格子窓から月が見える。紫式部やかぐや姫も同じ月を見ていたのだろう。

「自分が今、何かの物語のなかにいるだけなら、どれほどよいかと思います。すべての女人を連れて物語の外へと飛び出すことができたなら」

いつだったか遠い昔にも、こういう感覚に囚われたことがある気がする。

「飛び出した先には何があるのじゃ」

「男が動かす世とは違う世が。男の戦で傷つけられたり涙したりする女人がいない世です」

「この世が男の書いた物語であったなら、物語中の女人はどのように描かれるだろうか」

唐突な問いかけに戸惑ったものの、義子は想像してみる。

「異国の、男が書いた戦記物を読むと、男の理想にかなった女人が多く登場するわ。従順で献身的で美しく、庇護したいと男に思わせる儚さがあって、賢女であれ悪女であれ、武人たちに恋をするのが定石です」

「ゆえに借上かしあげや地頭のかかあのように男を屁とも思わぬ女人や、大原女や行商女ふりうりのように男に頼らずとも食うていける女人は、男の物語には不要とされたのじゃ。そうは思わぬか?」

「静どのの考え方は面白いけれど、忽然こつぜんと姿を消すからには理由わけがあるのです。母上もそう。母としての役目を終えたゆえ二度と私の前には現れぬと、母上なりのけじめをつけられたの」

「母御は退場させられたのじゃ。物語上の役目を終え、もう登場する場面はないと」

「そういう突飛な解釈は始めればきりがありません。亡き清盛どのに翻弄された白拍子しらびょうしたちがそろって姿を消したことも、物語に必要なくなったからということになってしまうわ」

「それ以外に何の理由がある? あの三人は清盛どのの身勝手さを知らしめるために登場しただけぞ。その役目が終わったゆえ退場させられた。寵愛を奪いあった女人が皆で仲良く尼になって同じ屋根の下で隠遁生活を送るなど、不自然でしかない。だが女人の心に疎い男であれば、それを不自然とは思わぬ。役目が終わった女人は出家という形で退場させてしまえというわけじゃ」

静は持論を続ける。頼朝の正妻政子が「屋敷に住んでいるが前々から姿が見えない」のは、女丈夫が物語の表舞台に登場すると頼朝の存在がかすむから。巴御前があのように変わったのは、男の理想に添った女人に描写変更されただけ。物語から「削除」しないのは男の興味をそそる女人だから──。聞いている義子は目眩めまいがしてきた。

「ならば一旦削除された静どのが再び物語に戻ってきた理由は、どう説明するのです?」

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かぐや姫、物語を書きかえろ!

雀野日名子
河出書房新社
2021-11-02

この連載について

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かぐや姫、物語を書きかえろ!

雀野日名子

物語の神は言った、「男が中心に存在してこそ“正しい物語”である」と。 そんな神の支配する『竹取物語』の世界に生きる内気な姫さよは、帝の后選びの場で勝気な姫ごうに出会う。自由を求め物語の神に反旗を翻した二人は、『源氏物語』から『平家...もっと読む

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