ああ恨めしき、この生理―『平家物語』3

物語の神は言った、「男が中心に存在してこそ正しい物語である」と。そんな神の支配する世界に生きる内気な姫さよと、勝気な姫ごうは今度は『平家物語』の中にいた。さよこと源義子は陣を進めるが、周囲の反応は冷たいものばかり。『平家物語』の中の著名なシーン、鵯越の逆落を迎えるのだが、そこには女子ならでは苦悩もあった。11月発売予定、雀野日名子さんの痛快エンタメ小説を、いち早くお届け。(提供元:河出書房新社)

義子よしこたちが丹波路たんばじの寺に着いたのは日暮れ頃で、老住職は「よくお越しくださいました」と義子との再会を懐かしみ、女こどもを保護してほしいとの義子の頼みを快諾した。

義子は、自分が来たことは母には内密にしてほしいと言った。不要な心配はかけたくないのだ。義子の母は宮中の雑仕女ぞうしめで、縁あって源氏武将の側女そばめとなり義子を産んだ。戦に翻弄されてきたが、今はこの寺で静かに暮らしている。だが母の話をしたとたん老住職は顔を曇らせた。

「それが……お母上はひと月ほど前からお姿が見えられぬのです」

「え?」

「お母上だけではありませぬ。亡き清盛どのの愛妾たちもお姿が見えなくなったとか」

祇王ぎおう祇女ぎじょの姉妹と仏御前ほとけごぜんという三人の白拍子しらびょうしだ。清盛の気まぐれな愛に傷つき、そろって山寺にもったと聞いている。清盛は女人にょにんへの不誠実さをなじられたようだが、その清盛も既に亡い。今になって三人が消される理由も、姿を隠さなくてはならない理由もないはずだ。

「他にも忽然こつぜんと消えた女人たちがいると聞いております。履物や、箸をつけたままの飯や、さばきかけの魚を残したまま。老若貴賤問わず女人ばかりが神隠しにあうのでございます」

老若貴賤を問わずというなら、野盗や人さらいの手口とは違う。

「気がかりですが今は先を急がねばなりません。戦が終わりましたら再訪いたします」

義子は後ろ髪を引かれる思いで寺を後にする。山門に並ぶ女こどもは義子に何度も頭を下げた。

山門の石段のふもとでは兵たちが円陣を描き、その中心では白拍子が舞っていた。白拍子がおどければどっと笑い、くるりと指先で太刀を回せば感嘆の声と拍手が上がる。

馬具を手入れしていた良兵衛が、円陣に向かって大声を出した。

「時間がないのに何を呑気にしておるかっ。義子様は苛立いらだっておいでじゃっ」

面食らう義子に、兵たちは不服そうな視線を向けつつ解散する。そもそも時間が切迫する原因を作ったのは義子様ではないかと言いたげに。

「いささか出すぎた真似をいたしましたようで。されど男は男の指示にしか耳を傾けぬことも、ござりますゆえ」

良兵衛は義子にこうべを垂れ、ちらりと視線を上げた。

すっかり日が暮れたなか、義子の隊は白拍子の道先案内で草むらを進み続ける。だが次第に隊列から遅れる者が出始める。良兵衛から報告が入った。

「暗くて道が見えぬとの声が続出してござります」

義子の後ろに腰かける白拍子が「星がこれだけ出ておるのに暗いはずがなかろう」と反論する。

義子は濃紺色の空を仰ぎ、明るい星がいくつ見えるか良兵衛に問うた。良兵衛は怪訝けげんそうに義子の視線に続き、「五、いや六」と答える。義子は兵たちにも数えさせた。多くの星を数えた者たちに義子は、懐中に携帯用の仏像や経文を入れているか尋ねた。手のひらに収まるほどの厨子ずしを携える者が四分の一を占めた。その者たちに義子は指示を出した。

「そなたたちとはここで分かれます。南下し、大手軍に合流してください。平家が己の都を作ろうとしたときの道が工事途中のまま残っているゆえ、たどっていけば合流できます」

僭越せんえつながら、と良兵衛が口を挟む。

「星や神仏にお伺いを立てるのも結構でござりますが、これ以上の兵を減らすのはいかがかと」

「夜目の利く者だけで進軍します」

兵の多くは平時には山仕事や武家の下働きをし、鳥獣を狩って食する習慣がある。医心方いしんぽう黄帝内経こうていだいけいでも、猪肉や鶏卵は夜盲を緩和すると証明されている。ただ仏への信仰心が厚い者は肉食を避けるため、星と見えたものが目の病によるものとも考えられる。義子は良兵衛にそう話した。

「最低でも二百の兵があれば大手軍の補助は果たせましょう。そして兵はまだ三百あります」

それがしも、そのように考えてござりました」

良兵衛は卑屈な上目遣いをした。

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かぐや姫、物語を書きかえろ!

雀野日名子
河出書房新社
2021-11-02

この連載について

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かぐや姫、物語を書きかえろ!

雀野日名子

物語の神は言った、「男が中心に存在してこそ“正しい物語”である」と。 そんな神の支配する『竹取物語』の世界に生きる内気な姫さよは、帝の后選びの場で勝気な姫ごうに出会う。自由を求め物語の神に反旗を翻した二人は、『源氏物語』から『平家...もっと読む

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