サクちゃんへ
こんにちは。
9月がやってきました。
京都では雨が降っていて、昨日から急に涼しくなりましたが、東京はどうですか?
今はエアコンをつけなくてもいいくらいなので、扇風機で過ごしています。
そうしたら扇風機の埃が気になったのでちゃっちゃと洗ったのですが、とても良い気分。
最近気づいたことのひとつに、「軽い落ち込みレベルなら、部屋の掃除でなんとかなる」というのがありますが、デフォルトが「軽く落ち込んでいる」ため、私の部屋は今結構きれいです。
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この間、保育園に次男を送っていったら、同じクラスの保護者の方と少し話をする機会がありました。
彼女いわく、来年から留学のために、家族とともに海外へ引っ越すとのこと。
「すごいですね、なんの勉強ですか?」
と聞いたら医学だと言っていました。ずっと同じクラスなのに知らなかったのですが、彼女はお医者さんで、技術を上げるために海外へ勉強しに行くのだそうです。
多分同い年くらいの方なのですが、私は医学のことはもちろんわからないし、英語も喋れないので、「すごいですね!」ばかり言っていました。
だけど、そうしたら彼女が
「私にとってはあなたの方がすごいですよ。あんなにたくさん文章を書けるなんて」
と言い出してびっくり。「実はずっと読者だった」と言うのです。私の名前はペンネーム(旧姓)ですし、職業も特に公にはしていなかったので、すごく驚きました。
「私は文章を書くのがすごく苦手だから、あんなふうに自分の気持ちを言葉にして表現できるなんてすごいと思います」
と、逆に言われてしまって、あたふたお礼を言ったりしながら、「そうかー、みんな得意なことと苦手なことがあるんだな」と当然のことを思いました。
“「言語化して書ける」というのは特殊能力で、誰もができるわけではない”
とサクちゃんも言っていましたが、その通りなのでしょうね。
特に「感情を言語化して書く」っていうのは、難しいことかもしれません。「意見や論考を書く」というのとは、また違うことだと思います。
私にとっては、「感情を言語化して書く」ことは生理現象のようなもので、そうしないと心と体がはち切れそうになります。だから、あんまり特殊能力だとか技術だとは思っていなかったのだけど、実際はそうなのかもしれない。そしてまた、それが私の「自分の感情との付き合い方」なんだろうと思います。
「書く」ことでそれをしない人は、きっと違う方法で自分の感情と付き合っているのでしょうね。みんなどんなふうに付き合っているのかな。受け流したり、発散したり、忘れたり、行動に変えたりしているのかな。
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前回のサクちゃんの日記でおもしろいなと思ったのが、「自分に興味関心が向いている時期は、本が読めない」という言葉です。
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