「好きって気持ちを伝えたいだけだから」
「私が勝手に好きなだけだから。どうなりたいとか、そういうのないから」
告白というか告白未満というか単なる独白というか、よくある曖昧なセリフを言われた人はいるだろうか。私は、実は言ったことがある。思いがあふれてどうしようもなくて、苦しくて切なくて言ってしまった、と当時は信じていた。が、今、振り返ってみると、実はそんな甘い心理ではなかったのである。
20代だった。就職をし、実家から離れ、携帯電話も普及した。しがらみから解放されて、自由に浮かれた頃だった。友達もいた。遊ぶ時間も遊ぶ場所もたくさんあった。足りないのは彼氏と恋愛だけだった。20代。若くて健康で、お金も友達もそれなりに確保しているのに、彼氏がいないだけで人生で大事な何かが欠落していると、当時の私は思い込んでいたのだ。
仲の良い友達には彼氏持ちもいれば、私のように彼氏のいない子もいた。彼氏のいない子は、彼氏を探しに奔走し、告白したりされたりを繰り返す。軽やかな行動力がないのは私だけだった。なぜなら私には、好きな人がいたから。
50歳になった今なら、片思いなんか煮詰めるもんじゃない、煮詰めすぎると甘くなりすぎて幻想を抱いてしまうか、苦くなりすぎて自分でもその思いを受け入れられなくなるのだ、とわかる。当然、相手だって好意が甘すぎたり苦すぎたりすれば、負担になるに違いない、と慮れるのだが、20代の私にはわからなかったし、できなかった。
「あ、この人、好きかも」と直感したら、なるべく早く気持ちを伝えるか、伝わるよう動くべきだ。そうしないと、片思いの相手そのものではなく、空想上の相手が心の中で膨れ上がってしまう。そうしていつのまにか自分がモンスターと化して、自分の都合のいいようにしか相手を見られなくなってしまう。
片思いで完結できるならいいけれど
片思いって、その相手がいない間にあれこれ妄想するのも楽しいのだけど、妄想と現実を混同したり、はては妄想が勝ってしまうのがこわいのだ。若ければ若いほど、そういう楽しさ半分の恐怖が起こり得る気がする。