わかる日本書紀

堂々巡りの協議、停滞する任那情勢【第29代⑤】

ややこしい日本書紀をわかりやすく紹介した書籍『わかる日本書紀』シリーズ第4巻から、日本の正史を学ぶ連載。今回は第29代、欽明天皇の御代のお話。

欽明天皇、百済に任那復建を促す①

欽明四年十一月八日、天皇はツモリ(津守)(のむらじ)※1を百済に遣わして聖明王にこう伝えさせました。
「任那の下韓(あるしから)にいる百済の郡令(こおりのつかさ)、城主(きのつかさ)※2を日本府の所属に変更せよ。
百済が任那再建を主張してはや十余年経つが、全く成果がない。任那は百済の柱であり早々に再建すべきだ。任那再建が成功すれば、言うまでもなくカウチ直(のあたい)は任那から手を引く」

この日、聖明王は天皇の言葉を受け、三人の佐平(さへい)※3らに対策を尋ねました。
佐平たちは答えました。
「とんでもありません。下韓にいる我が国の郡令と城主は、日本府付けにせずそのまま置いておくべきです。
ただ、任那再建は天皇のお言葉を受けて進めましょう」

十二月、百済の聖明王は、他の臣下たちにも天皇の言葉を公表し対応を尋ねました。臣下たちは全員で協議し、回答しました。
「任那を再建せよという天皇のお言葉は、速やかに受け入れ進めるべきです。今すぐ任那に派遣している百済の役人と任那諸国の王たちを召集し共に話し合い、天皇への上表文(じょうひょうぶん)を作って我々の意見を伝えましょう。

また、カウチ直、エナシ(移那斯)、マツ(麻都)らが、なおも安羅に居すわったままでは、おそらく任那の再建など難しいでしょう。
ですから上表文の中にカウチ直、エナシ、マツを本国に帰すお願いも書き加えてください」
臣下たちのこの回答は、聖明王の心にかなったものでした。

この月、百済は施徳(せとく)コウブン(高分)を遣わして、任那の官僚と日本府の官僚を招集しましたが、どちらも、
「正月元旦が過ぎたら参ります」
と答えました。

五年正月、百済は使者を遣わして、任那の官僚と日本府の官僚を呼びましたが、共に、
「神を祭るのが終わったら参ります」
と答え、百済に行こうとしませんでした。

この月、百済は再度使いを出して、任那の官僚と日本府の官僚を呼びましたが、日本府も任那も共に、官僚ではなく身分の低い者を遣わしました。
そのため百済は、任那再建のための話し合いができませんでした。

二月、百済の聖明王は官僚を任那に遣わして、日本府と任那諸国の王たちに語りました。

★次回に続きます

※1 津守連(つもりのむらじ)
倭国側の外交官の一人。津守氏には外交官が多い。

※2 郡令・城主(こおりのつかさ・きのつかさ)
ともに百済の役職名。ここは、倭国が「百済を新羅から守るためには、百済の官僚を任那日本府の配下とせよ」ということ。当然だが、百済はこれを拒否する。この郡令・城主をめぐる問題は、この後も続く。

※3 佐平
百済の第一等官。国王の補佐官。

※4 上表文
君主に対しての文章。ここは『日本書紀』の原則のとおり、百済が日本に奉る。もちろん史実とはいえない。

※5 移那斯(えなし)
日本から派遣された任那日本府の官僚の一人。位は低いが有力者だったらしい。聖明王は移那斯が親新羅派だとして繰り返し排除を欽明天皇に訴えるが、認められない。

※6 麻都(まつ)
移那斯同様、任那の官僚で、親新羅派の一人。移那斯と麻都とが任那日本府の実質的トップらしい。母は韓半島の女性。

※7 施徳(せとく)
百済の位階名の一つ。全十六位の第八位。

※8 高分(こうぶん)
「高」は姓、「分」が名だろう。

★次回更新は9月20日(月)です。

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村田右富実 /つだゆみ /村上ナッツ

『日本書紀』は神代から第41代持統天皇の時代までを扱った日本最古の歴史書です。しかし本文は漢文、全30巻と長く読解は難しいため、正史ながら読んだことのある人はほぼいません。そこで、劇作家が書くわかりやすい文章と、親しみやすいキャラクタ...もっと読む

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