安閑(あんかん)天皇東国の訴えを裁くほど強権に
カナヒ(勾大兄広国押武金日天皇=第二十七代安閑天皇)は継体天皇の長子です。
器量の大きさは計り知れず、勇猛で寛大、君主の器がありました。
継体天皇は、安閑天皇に譲位した日に亡くなりました。
大倭国勾金橋(やまとのくにまがりのかなはし)※1に遷都し、仁賢(にんけん)天皇の皇女・カスガヤマダ(春日山田)皇女を皇后とし、他に三人の妃を立てました。
安閑天皇の御代に※2、関東から西の地域に、数多くの朝廷の直轄領・屯倉(みやけ)が設けられました。皇后や妃の名を付けた屯倉を残すために、勅使が派遣されて良い田を探しました。
謹んで多くの田を差し出す豪族もいました。
かと思うと、差し出すのが惜しくなって、労多く収獲が少ない田であると欺いて差し出さず、発覚して、土地や地位を奪われた者もいました。
贖罪(しょくざい)のために、少年の従者や、鍬を差し出す者もいました。