不当な扱いを受けたときに読みたい本

この連載では、文芸オタクの三宅香帆さんがシチュエーションに合った本を独断と偏見をもって「処方」していきます。第四回は、エミリー・ブロンテの『嵐が丘』を読み解きます。突然ですが、あなたは瞬発的に怒ることができますか?大人になるとそれが難しかったりしますよね。そんな時、この本を開くのです!著書『副作用あります!? 人生おたすけ処方本』から特別収録。

04. 不当な扱いを受けたときに読みたい本

『嵐が丘』
エミリー・ブロンテ( 上・下、小野寺健訳、光文社古典新訳文庫、二〇一〇年)

効く一言
外へ出たい。また少女にもどりたい。
野蛮人みたいに粗暴になって、何にも束縛されず自由になって……

ふつうの女の子に、もどりたーい!

……と言ったのはキャンディーズですが(古いっ)、「女の子だった時代に、もどりたーい!」と思う瞬間は、ありませんか?  正確には、「私のなかの女の子を、自由にしたげてくれ~~!」と思う瞬間。

はい、もうこのへんでこれを読んでくださってる男性の方にページを閉じられそうですね。いや男性の場合は「男の子」って変換していただけたら嬉しいんですけど。

世界中の女の人(あるいは男の人)に、私は聞きたい。  
自分のなかに、小さかった、「少女」「少年」だった頃の自分は、存在していますか?  

なんかね、大人になってよかったー! って思うことのほうが、私は多いんですけど。ビールおいしいし。日本酒おいしいし。いやお酒だけじゃなくて、ふつーにやれることやりたいことが大人になってからのほうがずうっと多いし。自分はむかしよりもいまのほうが強い! って思う。  
でも一方で、ああ子どものときのほうが強かったな……と思う唯一の行為があって。それは、「反射的に嫌なもんは嫌って泣いて怒る力」。

小さい頃ってほんと、すくすく育っていれば、すぐぎゃんぎゃんと泣くじゃないですか。大人っぽくて泣くのをこらえる子でも、しかし大人になってからよりも子どものときのほうが「嫌なことを嫌だって言う力」は強いんじゃないかな、と思います。ていうか小さい子が嫌なこと嫌だって言えない状況は、だめです。

でもまぁ、大人になれば、嫌なこと嫌だって認識することすら時間がかかったりする。ちょうど筋肉痛が遅れて来るみたいに。
あ~~~い、いやだ、った……な……? いまの、いやだった…………いやだったわこんちくしょう!!! なんやねん今の!!!!!」って。  
でもほんとは、すぐに嫌なことは嫌って認識して「やめてくださいそれ」って言うべきなんですよね。
もちろん立場や状況がそうさせないことは多いけど、それでもまず、嫌なことされたら嫌だって認識するのがはやいに越したことはない。
だから、私はたまに「自分のなかの女の子」を確認するんです。ギャン泣きしてた小さい女の子の自分が、ああまだ自分のなかにたしかに存在してるわ、と、撫でるように確認する。  
この感覚、分かりますか?

分からねーよ! と思われた方。はい、あなたに向けて書いてるんですからね。あのね、普段はこの「自分のなかの子どもの自分」を確認するのってけっこうむずかしい技能なんですけど。  
実は、すぐれた文学というのは、あなたのなかのむかしのあなたを引っ張り出してくるものだ、と思うのです。


たとえば青春小説を読んでふいに高校時代の自分に戻ったような感覚になることってありません?
「あ、この感覚知ってるわ」ってとこをちゃんと引っ掛けて、人の記憶をずるるっと引き摺りだしてくる。それこそが、すぐれた文学というもののひとつの効用かなぁ、と思うのです。
そういう意味で、『嵐が丘』は、私を小さい女の子にする。  
あるいは──私のなかの小さい女の子を、ざわざわと騒ぎ立てた末に、思いっきり叫ばせるんです。
「そんなの、やだ~~~~やめてよ~~~~!」って。

『嵐が丘』という「世界十大小説」のひとつにも選ばれるこの作品は、英文学のなかでも特異な傑作として知られています。  
舞台は一八〇一年のヨークシャー地方。一人の男が「嵐が丘」を訪れ、主人のヒースクリフ、義理の娘・キャサリンやその従兄・ヘアトンに出会います。そこで女中・ネリーから、ヒースクリフと館にまつわるお話を聞かされる、という形で物語は始まります。  
この「ヒースクリフにまつわるお話」というのが、『嵐が丘』という小説の大筋なんですね。  
そのお話は、嵐が丘の旧主人が身寄りのない男児を哀れに思って、家に連れて帰り、ヒースクリフと名づけたところから始まります……。

この『嵐が丘』、普通は「ヒースクリフの復讐劇」というテーマで語られることが多い。まーたしかに彼は異様に執念が強いしとにかく存在感があるし、ヒーローになるのも分かる。しかもヒロインのキャサリン途中で死んじゃうし(キャサリンの子どもが交代ヒロインになる)、この物語通してずっと登場するのはヒースクリフだし。

……だがしかし! 私は異論を唱えたいっ。  
やっぱ『嵐が丘』は、キャサリンの話でしょ!?  と。

外へ出たい。また少女にもどりたい。野蛮人みたいに粗暴になって、何にも束縛されず自由になって……いじめられても笑ってて、狂ったようになんかならない人間に。あたしはなぜこんなに変わってしまったの? なぜ二言や三言のことで頭に血がのぼって、ひどい喧嘩になったりするのかしら? もう一度、ひろびろした丘のヒースのなかにとびこめたら、ぜったい元のあたしにもどれるわ……もう一度窓をひろく開けて、そのまま閉まらないように押さえておいて!(『嵐が丘』、上)

『嵐が丘』ヒロインのキャサリン(母娘)は、ずっと、少女だったころの自分を思い出す。何度も、何度も。  
キャサリンは、なにかをがまんしたりしないんですよね。とにかく嫌なことがあれば、不当な扱いを受けたら、怒る、喚く。血みどろの激情が小説中を駆け巡る。どうしようもない精神の暴走が物語を動かしてゆく。それこそ「嵐」のように、まるで小さい女の子みたいに。

だけどそんな嵐のような鬱屈や不満を抱えているのは、実はキャサリンだけではないと思うんです。実は私たちみんな、生きてたら多かれ少なかれ、嫌なこと抵抗したいことが満載で、それらに歯向かおうとする強烈な内側が存在している。ただ、ちょっとそれを抑えるのが大人になってうまくなるだけで。ほら、赤ちゃんの泣く姿の切実さを見れば、も ともと人間ってこんなに「嫌なことは嫌!」って言う生き物だったんだよなと思いますもん……。  
だけどこの『嵐が丘』という小説は、その痛みすら伴う魂の叫びを、剥き出しにしてしまう。  
ただ、小さい女の子、男の子だった頃の私たちの、泣き叫ぶあの姿そのものを。

『嵐が丘』を読むと、そこにあるのは単なる恋愛とか悲劇とかそういうものよりも、ずっとずっと強い──それこそ丘の上を嵐が吹き荒すさぶ風景そのもののような──エネルギーそのものを感じるんですよ。
もちろんそれは作者のエミリー・ブロンテ自身のなかにあったもので、さらには私たち自身のなかにもあるんでしょう。  
私たちが「嫌なことは嫌~~~」って言いたいけど言えないその抑圧を、ちゃんと暴走させてくれる小説。

『嵐が丘』を読むと、いつも、小さかった私が叫びだします。  
それは『嵐が丘』が、いつだって「少女に戻りたい」って叫んでいるからで、つまりは「暴走した私こそが私なんだ」って大声で言ってるから──なんじゃないかな。

世の中、まずは「嫌なものは嫌!」って言うだけでもエネルギーがいりますから。とりあえず『嵐が丘』を読んで、キャサリンの「嫌なものは嫌!」パワーを、体内に取り込んでいきましょう。

~処方~
とにかく主人公がわがままかつ怒っているので「自分ももっとわがままに生きるのだ!」と心底思わせてくれる小説。女の魂を思いっきり暴走させるとこういう物語になるんだなって思います……。不当な扱いを受けたらきちんと怒っていきたいですね。むずかしいけど。

人生のあらゆる場面で、あなたにぴったりの一冊、処方いたします。

この連載について

初回を読む
副作用あります!? 人生おたすけ処方本

三宅香帆

「○○なとき」→こんな本を処方、という形式で書評していきます。 《効用一覧》 ディケンズ『荒涼館』→「まっとうに生きよう…」と仕事へのやる気が起きます。 司馬遼太郎『坂の上の雲』→おじさんおばさんであることを受け入れられます。 ...もっと読む

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