キューバ・『一般理論』・外国人労働者

大変お久しぶりの「新・山形月報!」。今回はキューバから、大野一に訳されたケインズ『雇用、金利、通貨の一般理論』を皮切りに、安田峰俊『「低度」外国人材』やカルラ・スアレス『ハバナ零年』などのレビューをお届けします!

おひさしぶり。

これを書いているのは、キューバのハバナ。2021年6月のキューバは、一日の新規コロナ件数が一日1500人規模。年頭から下がる気配がないどころか、今月に入って4割くらい増えているありさま……と書いていたら今週に入って2000人台になり、あれよあれよという間に2400人にまで増えてしまった。ひえー(……と書いたら校正中に3400人台にまで激増!!)。人口比でいえば日本の20倍以上だ。それもあって入国時にはPCR検査、その後6日間の隔離が義務づけられ、ホテルの部屋に缶詰だ。最後にまたPCR検査して、陰性ならば解放されるとのこと。窓からの光景は悪くはないんだけどねー。食事が毎日同じだし、やっぱ気が滅入る。


居場所のホテル・カプリから見える風景。

で、そのためにいくつか本を持ってきたので、暇にあかせてその話でも書きましょう。まずは今年出たケインズ『雇用、金利、通貨の一般理論』(大野一訳、日経BPクラシックス) だ。

これはもちろん、社会科学分野で最も重要な本とすら呼ばれる代物だ。需要と供給が価格でバランスされて、市場の見えざる手があらゆる経済活動に調和と効率性をもたらす、だから失業なんてものは続かないのだ、賃金を下げればいいんだ、という古典派の考え方に対して、そんなことはないぞ、と看破した本となる。社会全体で考えないとダメだ、というのがケインズの慧眼だった。

賃金を下げたら、労働者が使えるお金が減って、企業の売上も減るから、だれも人を追加で雇おうとなんかしない。雇用の水準は、社会全体の消費と投資の水準で決まる。消費はあまり変わらないけれど、民間の投資はそのときの金利水準よりも儲かりそうな、収益性の高いものしか実施されない。でも金利は中央銀行の金融政策で決まってしまう。それは労働市場の需給とはあまり関係ないから、ヘタをすると失業がいつまでも続くことは十分あり得る。だから失業をなくすには、まず公共が収益性を無視して公共投資をたくさんやり、さらに民間投資が増えるように中央銀行が金利を引き下げるべきだ!


雇用、金利、通貨の一般理論

すでに全訳も何種類かある。おそらくはご存じのとおり、その一つはぼくがやっている。しかも全訳だけでなく、抄訳、超訳といろいろやってきた。だから一応、コメントできるくらいの知見はある一方で、本書はぼくの訳書の競合でもあるため、なんだテメー、オレの翻訳に文句あるのか、と身構える面もある。そういうバイアスがあることには留意してほしい。

でも、せっかく出たのにあんまり話題にもなっていないようで、ちょっとかわいそう。いろんな訳が出るのは悪いことじゃないし、それでケインズ関連の市場が広がればみんな得をする。そして大野一訳だけあって、あぶなげないとてもよい訳なのだ。塩野谷親子や間宮の訳にくらべれば雲泥の差だ。塩野谷親子の翻訳は、金釘流の学者逐語訳で、人間が読むようにはできていない。さらに岩波文庫の間宮陽介訳は、金釘流を踏襲したうえに、訳者が勝手に誤解してあれこれ原文を改ざんする (そしてそれを訳注で得意げに自慢する) というひどい代物。それに比べて、本書はきちんと普通に読める、とてもストレートでまともな翻訳だ。

もちろん、ぼくは自分の訳のほうがいいとは思う。題名の利子 (interest)を「金利」としたのは、途中に出てくる小麦の利子率とかいう話もあるし、利子のままでいいのではないかという気はする。また最後の決めの一節で、既存の利害関係者 (interest) を「支配者」とやるのは、ぼくはちょっと行きすぎだと思う(多くの人は誤解しているけれど、ぼくはなるべく原文に近い翻訳をするのだ)。それでも翻訳の裁量の範囲内だし、ケインズの意図としてはこれでもありだろう、とは思う。

ついでに、山形訳でネットにあるものは無料だし、また本になったものはクルーグマンの序文も入れて、ケインズ理論の普及に大いに貢献したIS-LMモデルを提唱したヒックス論文まで入れて、さらには山形の長ったらしい解説までついている。今回の日経BP版は、一般理論の本文だけ。余計なものは入れていない。素っ気ないし、もうちょっとサービスがほしい感じもするけれど、余計なものはいらない、実際の本だけ欲しいというミニマリストもいるだろう。

ということで、山形訳と比べるなら、どっちが良い悪いというレベルではなく、趣味の差の範囲ということになる。アマゾンのレビューでは、大野訳のほうが文章の格調が高いという説もあるけれど、これまた趣味の範囲ではある。ネット上の山形訳を見てみて、どうしてもなじめなければ、こちらを是非どうぞ。何にせよ、ケインズ『一般理論』に一、二回挑戦するのは決して悪いことではない。

それにしても読みながらちょっと思ったのだけれど、ひょっとして十年前にこの訳があったら、ぼくもあんな面倒な本を全訳しようという気にはならなかったかも……いや、内容理解のために抄訳はしただろうし、そうしたらなりゆきで全訳というのも、あり得たかもしれないけれど、あれほど熱心にはやらなかっただろうし、しかかりのまま止まっている他のいろいろな本の仲間入りをしていた可能性も高い。大野訳の企画がいつ始まったかは知らないけれど、タイミングとめぐりあわせというのは、やっぱり大事だよなあ。

で、お次は、しばらく前に読んだ本ながら、キューバにも持ってきてあらためて読み直している安田峰俊『「低度」外国人材』(KADOKAWA)。これは読みつつ、恐れいりましたと頭を下げるしかない本だ。このコラムでも何冊かすでに紹介したけれど、安田は中国関連のディープなルポを得意とするライターだ。が、海外ネタの紹介を中心とするライターの多くは、このコロナ禍で国外に出られなくなってしまい、なんだかんだで結構行き詰まっている感じはする。安田も大丈夫かねー、と思っていたら、すごい。やってくれました。


「低度」外国人材 移民焼き畑国家、日本

この本のテーマは、日本の悪名高い研修生制度などにより、日本に出稼ぎとかでやってきた外国人労働者もどきだ。研修生制度というと、本来は日本に技能研修のために途上国から若者を招聘し、現場で働いてもらうことで技能を身につけてもらうという主旨のもの。だがそれが多くの分野で、奴隷のような低賃金搾取労働力として利用されてしまい、過重労働、セクハラ、労災なしのひどい労働条件でこき使われて、使い捨てられている。その一部は逃げ出して不良化し、ブタを盗んで解体していたという話がニュースになって—。

ぼくもこの話は聞いていて、とにかく研修生制度がダメなだけだと思っていた。取材しても、それ以上の話にはならんのでは、と思っていた。が、甘かった。本書は、そのブタ解体の当事者のところに、きちんと取材にでかける。多くの研修生募集派遣業者にも取材し、実際の研修生たちにも話を聞く。そしてそこから浮かびあがってくるのは、単純に日本の研修生制度のひどさというだけではすまない話だ。

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山形浩生

経済、文学、コンピュータなどの多方面で八面六臂の活躍をする山形浩生さん。その山形さんが月に一度、読んだ本、気になる現象について読者にお届けする密度の濃いレポートです。

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コメント

383kuro 山形浩生さんが大野一訳ケインズ『一般理論』を取り上げてくれた。多謝。 15日前 replyretweetfavorite

Yoneckland2 久しぶりだ。しかし、山形さんは老眼にはならないのだろうか… 20日前 replyretweetfavorite

consaba 山形浩生「しばらく前に読んだ本ながら、 20日前 replyretweetfavorite

agyrtria まあ、エラくお久しぶりw。そうか、ケインズ「一般理論」には、各種翻訳があるのね(笑)。あと安田峰俊のあの本は必読、と⇨ 20日前 replyretweetfavorite