「嫌なものは嫌だ!」という肌感覚に従おう
起業して以降、年長のビジネスマンたちから何度となく「大人になれよ」と言われてきた。彼らが言う大人とは、空気を読んで自分の意見を封じ、すすんで思考停止のプロセスに入っていける人のことだ。
僕は、そんな大人になんか、決してなりたくなかった。
2004年頃から起きたライブドア事件がひと区切りついた後、周りから「村上ファンドの村上世彰さんみたいに、世間に詫びを入れていたら、許してもらえたんじゃないか?」と言われた。反論はしない。そのとおりだと思う。
親しい人からも「堀江自身が詫びることはないけれど、世間が誤解しているホリエモンのイメージを払拭するために、お詫びしなさい」と言われた。ややこしい構図ではあるが、裁判での量刑を軽くするには、一番効果的な方法だったかもしれない。
頭では理解できていた。でも、絶対にやりたくなかった。
悪いことを何もしていないのに、なんで頭を下げなくてはいけないの?
ちっとも罪を理解できないで、形だけ、世間につむじを見せて「謹んでお詫びを申し上げます」なんて、絶対に言いたくなかった。
村上さんはそこを演じられる人なのだ。状況によって巧みに演じられる、大人だった。それが彼のスタイルだとしたら、意見はない。
でも、僕には決してできない。
自分に嘘をついて四方丸く収めるのが大人だというなら、自分の信念に従い、抵抗し続けた僕は子どもだったのか?
子どもでいることは、有罪になるような悪だったのか?
ライブドア事件で執行猶予を得るために、外面だけ土下座して内心は笑っているような、自分の「ねつ造」だけは、したくなかった。
前科がつくことになっても、僕が僕自身に嘘をつき、肌感覚で「嫌だ!」ということを許してしまったら、激しく後悔するとわかっていた。
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