次郎長、男になる

【第24話】古典作品をボーイズラブ化した大好評シリーズ『BL古典セレクション』待望の新連載!「海道一の親分」として明治初期に名をはせた侠客、清水次郎長。その養子であった禅僧・天田愚庵による名作『東海遊侠伝』を、作家・町田康が自身初のBL作品として、圧倒的な鮮やかさをもって現代に蘇らせる。月一回更新。

 今天狗の治助ンところへの道順を聞こうとして、あろうことか御用聞きの家に入ってしまった次郎長、今天狗と知り合いらしく、「俺が紹介してやろう」と言うその家の男に名前を聞かれて考えた。

 ここで本名を名乗れば、お尋ね者であることが知れて縛られるかも知れない。

 かと言って名乗らなければ、旧知の仲である治助に自分が寺津に来ていることが伝わらない。それでまごまごしているうちに、この男に正体がばれて捕まってしまうかもしれない。

 サア、どうしたものか。と思案した次郎長、

 ええい、ままよ、

「手前は駿河国清水湊に住まいを致す長五郎と申す者、連れの者は熊五郎、広吉と申す者にござんす」

 と言った。

 家の男は、

「清水の次郎長と、えー、熊五郎に広吉だな。わかった。じゃ、ちょっと今天狗に知らせてくるから、ここで待ってくんねぇ。ナーニ、手間は取らせねぇ、すぐそこだ」

 と言い、三人をそこに待たせて表へ出て言った。

 それを見送って、サア、慌てたのは熊五郎と広吉である。

 熊五郎は、奥に誰かいるかも知れないと思うから声を絞って次郎長に言った。

「手前ぇ、なんてことしやがる」

「なんてこと、ってなんだよ」

「わかんねぇのか。今の奴ァ十手持ちじゃねぇか。十手持ちにホントの名前、言ったらどうなるか、手前ぇ、わかってんのか。俺たち三人、お縄を頂戴しちまうじゃねぇか」

「はははは。おもしろい」

「笑ってやがる。さ、早く行こう」

「行こう、ってどこへ」

「逃げるに決まってるじゃねぇか。奴が人数を連れて戻ってこないうちに、サササ、早く」

「待て、待て。逃げたって駄目だ。もう名前を言っちまったんだ。遅かれ早かれ、手が回らあな」

「だからと言ってここで凝としてるよりは」

「待て、待て。俺の思うに、どこに行くよりここに居るのが一番、安全なんだよ」

「そりゃどういう訳だい」

「だからな……」

 と言って次郎長が説明したのは以下のようなことであった。

 今天狗がかつて清水に滞在した治助であることはほぼ間違いない。そして今天狗はこの地において乾分数百名を有する一大勢力で小川武一とも同盟を結んでいる。

 ならば、先ほどの男とも当然、協力関係にあるはずで、治助と自分の関係を知れば、いくら十手持ちとて自分に縄をかけることはできない。

 いやさ、むしろ彼の男は治助の配下にあって治助その人がお上から十手捕り縄を預かっている可能性さえある。そうなれば俺たちは大船に乗ったも同然だ。なぜならかつての関係から言って治助が俺を捕縛することは絶対にないから。

 という次郎長の説明はしかし今日は若干の説明を要する。

 なぜなら博徒と十手持ちが協力関係にある、いやむしろ博徒の部下ではないか、というところが、今日の感覚で言うとあり得ないことのように思えるからである。

 しかし当時の代官所の人員はきわめて少なく、操作に動員できる数が不足していた。そこで土地の顔役に捜査を委託した。これが所謂、目明かし、というやつである。

 目明かしは有力な博奕打ちだから各所に博奕場を持っている。また家には多くの旅人が来る。そして各地の有力な博奕打ちと兄弟分の盃を交わし、同盟を結んでいる。

 つまり全国の博奕打ちとのネットワークが広がっている。

 だから代官所から手配書が回ってきた容疑者について、

「そいつなら、どこそこの賭場で見ましたぜ」

「そいつなら、どこそこに草鞋を脱ぎましたぜ」

 なんて情報がいくらでも入ってくる。

 つまり蛇の道は蛇、というやつである。或いは、毒を以て毒を制す、とでも言うべきか。為政者は法の外にいるアウトサイダーである博徒を使って法を犯す者を捕らえ、かつまた取り締まろうとしたのである。

 これはある一面において、理に叶ったやり方と言える。

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BL古典セレクション 東海遊侠伝 次郎長一代記

町田康

古典作品をボーイズラブ化した大好評シリーズ『BL古典セレクション』待望の新連載!「海道一の親分」として明治初期に名をはせた侠客、清水次郎長。その養子であった禅僧・天田愚庵による名作『東海遊侠伝』を、作家・町田康が自身初のBL作品として...もっと読む

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