生きることは傷つくこと、そして癒やし続けること。

子どもの頃、親にして欲しかったことを、自分の子どもにしてあげようと考えている蘭ちゃんですが、そうすることで、心の中の「子どもだった自分」が不貞腐れていることに気づいたのだそう。蘭ちゃんは「子どもだった自分」と、どう向き合っているのでしょうか?(毎週火曜日更新)

サクちゃんへ

こんにちは。

京都では爽やかな気候が終わり、夏の蒸し暑さがやってきました。ちょうどいい季節はあっという間に過ぎ去りますね。

「もうすぐやってくるジメジメの日々までの束の間のよろこびだと思うと、なんだか悲しくなります」とサクちゃんは書いていたけれど、わたしもよくそんなふうに思うので気持ちがわかります。

例えば目の前の子供に対して「かわいいなぁ」と思うときなんか、「でもすぐに反抗期になってわたしとは口も聞いてくれなくなるのだろうな」と先のことを想像してしょんぼりしたり。

そんなことを言うと「損な性格だね」と言われるのですが、本当にその通りです。でもまあ最近は、それがわたしの「今幸せだと感じている」印みたいなものなのかなーと思って、「ああ、今幸せだって思ってるんだね」と言い聞かせるようにしています。

ー・-・-

「子育ては敗者復活戦ではない」
前回のサクちゃんの日記で、この言葉にわたしもぎくりとしました。

それを読んで、「子育ては自分を育て直す行為」という言葉を読んだことがあるのを思い出しました。この二つは似ているけれど違うし、混同注意な感じがしますね。つまりは、誰の人生なのか?ということなのだと思います。子供の人生は子供のものとした上で、自分の人生をもう一度生き直す、みたいなことができたらいいのかなと、サクちゃんの日記を読んで思いました。

わたしは二人の息子の誕生日をお祝いするときに、よくそんなことを思います。自分が子供の頃、誕生日も一人でご飯を食べることが多かったので、それが寂しくて「なんで一緒にいてくれなかったんだろう」と、大人になっても結構引きずっていました。だから息子たちの誕生日には、ちゃんと一緒に祝おうと決めていたんです。

でもそうすることで「子供だった自分」まで満足するかというと、そうではありません。あるときよくよく観察してみると、自分の中の「子供だった自分」は少し不貞腐れていることに気づきました。わたしは祝ってもらえなかったのに、どうしてこの子は祝ってもらえるんだろう。ずるい、羨ましい。そんな気持ちがかすかに湧いていたんです。

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サクちゃん蘭ちゃんのそもそも交換日記

土門蘭 /桜林直子

東京でクッキー屋さんをしている「桜林直子(サクちゃん)」と、京都で小説家として文章を書く「土門蘭(蘭ちゃん)」は、生活も仕事も違うふたりの女性。この連載は、そんなふたりの交換日記です。ふたりが気が合うのは、彼女たちに世界の「そもそも」...もっと読む

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orangeore あの頃に戻れるとしたら、のくだりほんとそう思う 約1ヶ月前 replyretweetfavorite