最終回】「男らしさ」も「男らしくなさ」もひとりの人間のなかに豊かに共存しうるもの

自らの孤独な悲しみを癒すための歌が、やがてコミュ二ティを形作り、他者の痛みを受け止める社会的なアクションへとつながっていく——数々のダッドを紹介してきたこの連載を締めくくるのは、木津氏が「もっとも好きな男」と言ってはばからない、繊細だけれど山男のように実直で、変な柄シャツが似合う、そんなおっさんです。大切なお知らせもありますので、最後までじっくりどうぞ。

イラスト:澁谷玲子

 僕が地球上でもっとも好きな男と会ったのは、2010年の秋のことだ。

 それは、ミュージシャンの彼が小さなライヴハウスを回るツアーで日本に来たときのことで、熱烈なファンというか、ほとんど本気で彼に恋をしていた僕は、すぐさま初日の東京に飛んで……いや、夜行バスで眠らずに向かったのだった。

 ギンギンに興奮した状態のまま当日、ひょっとしたら遠くから目撃することができるかもしれないなと開演前の会場に行ってみると、じつにあっさりと本人を見つけてしまう。ライヴハウス前の階段に座って煙草を吸いながら休憩していた彼は、何度も写真や映像で見たそのままの、長身で髭面の、いかにもひとのよさそうな青年だった。

 目の前の現実がにわかに信じられず数分間パニックに陥ったものの、いま行動しないと一生後悔すると意を決した僕は、おずおずと近づいて、「こんにちは。僕はあなたの大ファンです。今日のライヴを楽しみにしています」とたどたどしい英語で声をかけた。自分の声がかすれているのに気づいて恥ずかしくなる。すると彼は一瞬で「ほんとに!? ありがとう!」と満面の笑みを見せ、「日本に来られて嬉しいよ~」とまったく警戒を見せずにニコニコ話している。

 もうそれだけで気絶しそうだったのだけど、「あなたのこのアルバムが大好きなんです。もしよかったらサインを……」と持ってきたCDを取り出すと、「もちろん! 名前は何ていうの?」と、どこからどう見ても自分のことが好きすぎてヤバいファンに快く応えてくれる。「マイ・ネーム・イズ・ツヨシ」と言うと少し難しそうな顔をしているので、発音が難しいのかなと「t、s、u……」とアルファベットで伝えようとすると、彼は「ノーノー!」と言って、マジックで自分の手の甲に「つ」とひらがなで勢いよく書いてみせた。まったく予想していなかったことに驚きつつも、興奮した僕が思わず馬鹿みたいに「イエス!」と叫ぶと、彼はえへへと笑って、CDのジャケットに「つよし ありがと」とかわいらしいひらがなを披露してくれた。学生のときに日本に短期留学の経験があった彼は、久々の来日に際してなんと、ひらがなを復習してきたのである。そんなミュージシャン、見たことも聞いたこともなかった。

「これはプレゼントです」と用意していた和風の柄の手ぬぐいを渡すと、「ワオ!」と言ってその場で頭に巻いてくれる。その朗らかすぎる振る舞いに思わず、時よとまれ、君は美しいと口走りそうになるものの、さすがにこれ以上休憩を邪魔してはいけないと思い、最後に近くを通りがかったスタッフの方にお願いしていっしょに写真を撮ってもらったら、階段の一段下に立っていた彼の身長はそれでも僕よりひと回り高かった。本当にでっかい男だった。

 その日のライヴのステージ、彼は自分の腕に僕が渡した手ぬぐいを巻いて出てきて僕をまたまた驚かせる。さらに、最終日の大阪の会場では僕が行くと言っていたのを覚えてくれていたのか、モミジ柄の手ぬぐいを頭に巻いて登場し、ニッポン大好きアピールをする外国人という感じになってしまっていた……。ごめん、でも、ありがとう。いいヤツすぎるよ。熱い盛り上がりを見せたライヴのあと、集まったオーディエンスたちと談笑していた彼の手はまるで子どもが一生懸命書いたようなひらがなでいっぱいになっていて、僕はこのひとを一生好きでいるのだろうなと思った。

 男の名前はジャスティン・ヴァーノンボン・イヴェールの名義で音楽活動をするシンガーソングライターだ。僕にとって最高にカッコいいジャスティンは、ティンバレークでもなくビーバーでもなく、永遠にジャスティン・ヴァーノンである。

「人生の孤独な冬」に生まれた温かな歌

 ……と、僕の恥ずかしい思い出について書いていると、僕が彼の人柄ばかりに惚れている危ない奴だと思われるかもしれないけれど(それも否定できないが)、最初に好きになったのはもちろん彼が作る音楽だ。

 ボン・イヴェールの存在が海外の音楽メディアで注目されたのは2008年の頃で、僕が知ったのも、ファースト・アルバム『For Emma, Forever Ago』がいくつかのメディアの年間ベスト・チャートで挙げられていたからだ。シンプルな弾き語りのフォーク・ミュージックのようで、思わず引きこまれる幽玄な音響や、ファルセット・ヴォイス(高音の声)による透明感のある歌が、雪の結晶のように繊細な美しさを生み出している。

 そして同作において話題となったのは、そこに収められた歌が生まれた背景だ。ヴァーノンは早くからミュージシャンを志し、地元の仲間たちと音楽活動を地道に続ける20代を送っていたが、組んでいたバンドが意見の相違からダメになってしまい、肺の病気に罹り、さらに当時の恋人と別れるといったことをある時期同時に経験する。何もかも嫌になってしまった彼は、すべてから逃れるために地元ウィスコンシン州の田舎町に帰り、父親が所有していた山小屋にこもってひとりで歌を作る。北国の厳しい冬の雪のなかで、自らの傷が癒えるのを静かに待つように……

 そうして生まれたアルバムは2007年に自主制作で500枚だけリリースされたが、翌年インディ・レーベルと契約し正式に流通すると、支持が少しずつ広がっていった。奇しくもアメリカはリーマンショックを契機とする金融危機を迎え、社会的なムードとしても混乱していた時期だ。有名スターによるパワフルなメッセージ・ソングよりも、名もなき青年による切ない歌のほうに、真実味を覚えたひとが少なからずいたのかもしれない。『For Emma, Forever Ago』には、あまりに純粋な痛み孤独が封じこめられているからだ。

 ヴァーノンの書く歌詞は現代詩のように抽象度が高く、文脈が取りづらいことが多いものの、彼自身がどうにもならない傷心と苦闘していることは生々しく伝わってくる。代表曲の“Skinny Love”は終わった愛に執着する自分の想いを吐露する歌だが、ヴァーノンが「いまきみの愛がすべて無駄になったのなら/自分はいったい何者なんだろう?」と叫ぶのを聴くたび、僕はただ呆然としてしまう。その答えのなさに。

 シンガーとしてのヴァーノンの大きな特徴であるそのファルセット・ヴォイスは、女性のゴスペル・シンガーや少年合唱団に影響されたものだそうだが、それはボン・イヴェールとして活動を始めたタイミングで現れたものだ。以前の彼の歌唱はどちらかというと地声の低音をそのまま出すものだった。『For Emma, Forever Ago』において男性的な低い声を手放したのは、自分のなかの奥にある痛みや弱さを解放させるのに必要だったからではないだろうか。

 初期のボン・イヴェールのライヴでは、歌をいっしょに口ずさみながら涙を流す男性も少なくなかったという話を聞く。終わった愛と癒えない傷についての歌に泣きながら、彼らは自分が弱くあることを許していたのかもしれない。

 正直に言って、僕もこのアルバムが生まれた「物語」に惹かれたところがかなりある。就職できずにフラフラし、ボンヤリとした恋愛もうまくいかず、人生を停滞させていた当時の自分にどうしようもなく彼の歌は突き刺さったのだ。そのときのボン・イヴェールは僕にとって、眠れない夜ひとりで繰り返し聴くための音楽だった。

 ただ、ボン・イヴェールの歌はただ切なく痛ましいだけでなく、どこか柔らかく温かい響きを持っていて、それはヴァーノンが自分の感情に正直であろうとした表れだと僕は思っている。痛みに徹底的に向き合うことこそが、自分を癒すことになるのだと。ボン・イヴェールという名前はフランス語の「bon hiver」をもじったもので、「良い冬」という意味だ。彼は人生の孤独な冬に生まれた自分の音楽を、良いものだと言ったのだ

実直さと繊細さを併せ持つ男の魅力

 僕はすっかり彼と彼の音楽の虜になった。アルバムが話題になったことで音楽活動を活発化し、様々なメディアに現れるようになった彼を見ていると、いかにもアメリカのナイス・ガイというか、朴訥な人柄が山男みたいな風貌にそのままに表れているひとだという印象を受ける。そして実際、海外からのインタヴューやニュースから知る彼はどこまでもナイス・ガイだった。

 彼の初期の活動のなかで僕がとくに覚えているのが、自分が通っていた高校のビッグ・ジャズ・バンドとともに地元でチャリティ・ライヴをやったことだ。現役の高校生たちを指導し、またいっしょに演奏することで得た収益は、高校生たちがニューヨークでコンクールに出場するための資金に充てられた。ウィスコンシン州の地図をタトゥーにして左胸に入れているほど地元を愛しているヴァーノンだが、それにしてもあまりに粋なコミュニティへの貢献だ。

 当時僕は、たとえばパリの街の路上で豪快に手を叩きながら歌う彼の姿を見ながら、この実直そうなナイス・ガイとあの繊細な歌がその内側でどう繋がっているのだろうと考えていた。きっと、その点こそ僕がボン・イヴェールに惹かれた最大の理由なのだ。ふだんあまり見たり聞いたりすることのない、大人の男性の繊細さや柔らかい感情がその音楽にはあり、だからボン・イヴェールは僕にとってセクシーですらある

コミュニティを形作っていく大きな存在へと成長

 ヴァーノンと対面して少し経った頃、僕はひょんなきっかけからずっと目指していた音楽ライターとして活動することになった。僕を拾ってくれた音楽評論家でもある編集者に送った原稿は、ボン・イヴェールの音楽に対する愛を綴ったものだった。そのことに、僕はいまでも縁を感じている。

 その後ボン・イヴェールは、アルバムをリリースするごとにその音楽性の高さによって絶大な評価を得ることになる。それでも本人はいつ見てもアメリカの田舎出身の気のいい兄ちゃんといった雰囲気を変えなかったために、彼がビッグになっていくのを僕は勝手にハラハラしながら見ていたところがある。何しろ……たとえば昔組んでいたバンド・メンバーとはいまはまた仲良しで、一度その再結成ライヴをやっているのだが、そんな重要なライヴにアニメ『ザ・シンプソンズ』のTシャツに色物の短パンという「……夏休みの小学生?」みたいな恰好で出てくるようなひとなのだ。

ついにはグラミー賞の新人賞まで獲ってしまうのだが、僕はその中継をテレビから10センチの距離で観ながら、近所の大好きなお兄ちゃんが全国放送にはじめて出たときのような緊張と興奮を覚えたのだった。けれどヴァーノンは業界的な栄光に驕ることなく、「僕はこの会場の外にいる、才能のあるひとをたくさん知っています。彼らに感謝したいと思います」とスピーチした。

 ヴァーノンは自分が有名になったことによって得た利益を還元するように、(まさにグラミー賞授賞式の会場の外にいるような)インディペンデントのミュージシャンたちと積極的にコラボレーションや共同制作を重ねていった。のちに「PEOPLE(人びと)」という名のアーティスト集団を主宰。ボン・イヴェールもまた、作品ごとに関わるミュージシャンの人数が増えて幅も広がり、バンドというよりそれ自体がコミュニティのような存在になっていった。表現内容も、次第に彼個人の孤独だけでなくこの世界の「人びと」がどのように共存できるかといった大きなテーマに向かっていく。『For Emma, Forever Ago』の頃のようにひとりでは生み出せない音楽を目指したのだ。

 2015年に彼が地元の小さな町オークレアでフェスティヴァルを主宰したときには、特定のジャンルに拠らないヴァラエティ豊かなミュージシャンを集めた上で、地元の企業をスポンサーに入れてローカル・コミュニティの活性化に一役買ってみせた。

 細々とライターをしながら生活のためのアルバイトを続けようかやめようか決めかねていた僕は、そのフェスティヴァルに行くためだけに長期休暇を取り、それを契機にしてライター一本でやっていくことを決めた。不安もあったけれど、不思議とそれ以上に清々しかった……大好きなひとがくれたきっかけだったから

 オークレアは想像していたよりも田舎だったけれど、ヴァーノンを生み出したことも何となくうなずけるような、素朴で素敵な町だった。そしてフェスティヴァルの会場で僕がつくづく感じたのは、ボン・イヴェールの熱いファンがたくさん集まっていたから当然とはいえ、ヴァーノンがその活動や人柄によって多くのひとに愛されているということだ。また、その愛を多くのひとたちと共有しようとするひとだということも。ヴァーノンはフェスのリーダーとして様々なミュージシャンのステージに登場し、いっしょに歌ったりギターを弾いたりハグをしたりしながら、僕が会ったときと同じ笑顔で終始ニコニコしていた。

 2日間のフェスティヴァルの大トリを務めたボン・イヴェールが最後に演奏した“Skinny Love”は、もうヴァーノンだけの痛みを吐露するものではなく、そこに集まったすべてのひとの喜びの歌だった。周りの誰もが本当に嬉しそうに歌っていた。

この続きは有料会員登録をすると
読むことができます。
cakes会員の方はここからログイン

1週間無料のお試し購読する

cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。

人気の連載

おすすめ記事

この連載について

初回を読む
ニュー・ダッド あたらしい時代のあたらしいおっさん

木津毅

「おっさん=悪いもの、古いもの、いまの社会の悪しき土台を作ったもの」とされている今日この頃。ではいま、「おっさん」はどこへ行くべきなのか? 時代に合わせて生まれつつある「あたらしいおっさん=ニュー・ダッド」たちの姿を見つめながら、これ...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

Lybliss1 あと、「男らしさ」の呪縛は、すべての人を苦しめるんだなと改めて思う。 例えば、この記事の内容は素敵なんだけど、歌でvulnerabilityを表現するのも「男らしくなさ」なの?って引っ掛かってしまった。 https://t.co/PXrbJgr7rH 4ヶ月前 replyretweetfavorite

ryohoben cakes会員以外が全文読めるのは明日までです〜 5ヶ月前 replyretweetfavorite

charimang かなり久しぶりに文章で泣いちゃった。 https://t.co/ruUqmISSid 5ヶ月前 replyretweetfavorite

chord310 |木津毅 @tsuyoshi_kizu https://t.co/6o4dzXXWOI 毎回楽しみにしていた連載が終わってしまった。最期は、木津さ… https://t.co/Wt6YuJucFn 5ヶ月前 replyretweetfavorite