※この記事の情報は、『週刊東洋経済』2020年3月16日発売当時のものです。
土佐の「地下浪人」から最強財閥へ
岩崎4代の偉業と末裔の今
ジャーナリスト・國貞文隆
「寛彌(ひろや)とは結構親しくてね。土佐の彌太郎の血を引き継いだせいか、酒にも強くて。酔って目が据わってくると、怖いから逃げるんです(笑)。でも、財閥家の当主として帝王学を受けて育った魅力的な人でした。仕事ではキレ者ぶりを発揮し、もし一国一城の主だったら、必ず何事かを成し遂げていたと思いますよ」
2018年に亡くなった、古河財閥創業家5代目当主の古河潤之助氏から、かつてそう聞いたことがある。岩崎彌太郎直系の本家当主で、元三菱銀行取締役の岩崎寛彌氏は、2008年に死去している。生前は、酒好きとして知られ、夕方から丸の内の東京会館のバーや、湯島の居酒屋「シンスケ」でゆっくり酒をたしなむことを常としていた。
同じ財閥家の当主同士、寛彌氏と親しい交流があった古河氏は、三菱における創業家の役割についてこう語った。「三井や住友は番頭がよかったから、必然的に当主の力が弱くなった。三菱は岩崎さんが財閥解体直前まで第一線で仕事をしてきたから、今もグループの団結力があるのです」。