他人の言葉には風力がある。よい風は調子にのせ、悪い風には吹き飛ばされる。

子どもの頃から、いつも自分自身が話し相手で、唯一の理解者だったというサクちゃん。自分と対話をたくさんしてきた中で、どうしても他人にしかできないことがあると言います。それは一体何なのでしょうか? 今回は「他人の言葉の力」について、ちょっと一緒に考えてみましょう。(毎週火曜日更新)

蘭ちゃんへ

こんにちは!

東京はようやくしっかり暖かくなってきました。なんだか今年は冬から春への移行がグズグズな気がします。それに伴って、わたしも切り替えがうまくいかずグズグズしています。

数日後に引っ越しを控えていて、すこし緊張しているのかもしれません。こういう絶対的な予定やイベントが昔から苦手で、やり過ごすのに必死です。

今は、ものをたくさん捨てているところです。娘とふたり暮らしの家からひとり暮らしになるので、部屋が狭くなるため、ものを減らさないといけないのです。

引っ越しや大掃除のときにものを捨てはじめるといつも、気持ちよくなって勢いでどんどん捨ててしまいます。「あー今捨てすぎているなー」とすこし冷静な自分がいるのに、捨てる手は止まりません。今回も例外なくそうでした。やけくそとはこのことです。

無事に引っ越しが終わり、落ち着く日を心待ちにしています。

*ー*ー*

さて、前回、蘭ちゃんの中の「鬼コーチ」が「お母さん」へと変わっていく様子を読み、とてもうれしくなりました。

お母さんが厳しい「鬼お母さん」にならないよう、わたしからも「どうかやさしくね」とお願いしたいところです。

わたしの場合はどうかな、と自分との関係について考えてみましたが、どうやらわたしの中に鬼コーチやお母さんはいません。悪くいうと見張り、よく言えば見守る存在のようなものがいるとしたら、それはいつも他人で、自分自身ではないようです。

わたしは子どもの頃から、いつも自分が話し相手であり、唯一の理解者だったので、自分自身とは仲が良かったと思います。

これについては、今までけっこう考えてきたのですが、残念ながら身近な家族や学校の同級生とあまり気が合わず、他人を頼ったり好きになったりする経験が乏しかったので、味方を外に求めずに自分の中に求め、探した結果だと思っています。他人と仲良くできないかわりに、自分と仲良くなったのかなと。

だから、自分自身との関係をあらわすとしたら、「いちばんの友達」かな。

どんなやりとりをしているかというと、例えば「あーもうダメだ、なにもうまくいかないや」と思ったときに「ほんとにもうダメなの?」「なにもうまくいかないって、具体的にはなにが?」と質問してきます。「ほんとにそうかな?」と。

対話のはじまりは、いつもそんな「問い」です。

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サクちゃん蘭ちゃんのそもそも交換日記

土門蘭 /桜林直子

東京でクッキー屋さんをしている「桜林直子(サクちゃん)」と、京都で小説家として文章を書く「土門蘭(蘭ちゃん)」は、生活も仕事も違うふたりの女性。この連載は、そんなふたりの交換日記です。ふたりが気が合うのは、彼女たちに世界の「そもそも」...もっと読む

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