「どうして人を殺してはいけないの?」
時は1997年。2名が死亡、3名が重軽傷を負った神戸連続児童殺傷事件事件の受けて開かれたNHKの討論番組において、大江健三郎氏をはじめとする文化人たちは、中学生のこの質問に、身が固まってしまい、誰一人答えられませんでした。
大江健三郎氏は後日、朝日新聞のコラムでこう答えました。
私はむしろ、この質問に問題があると思う。まともな子供なら、そういう問いかけを口にすることを恥じるものだ。 (中略) 人を殺さないということ自体に意味がある。どうしてと問うのは、その直観にさからう無意味な行為で、誇りのある人間のすることじゃないと子供は思っているだろう。(朝日新聞1997年11月30日より)
大江氏のこの「まともな子供はそういう問いかけをしない」という言葉は、図らずも重要な時代の変化を浮き彫りしたのではないでしょうか? 大人側には、誰しもが「まとも」と感じる大前提があるのに対して、中学生側は必ずしもそういった前提を持っていないことを、大人側に初めて気が付かせたのです。私もそんな衝撃を受けた「大人」のうちの一人でした。
90年代は、それまでの時代に見られなかったさまざまな「不可解な行動」のオンパレードでした。例えば94年頃から社会問題化した援助交際。あるいは頻発した「オヤジ狩り」。不登校やひきこもりの爆発的な増加。地下鉄サリン事件、バスジャック事件、自殺の急増。世の中の大半の大人たちが漠然と信じていた価値観が、ガラガラと音を立てて崩れてしまったのです。
当時の価値観
それではまだ「昭和」だった80年代以前、人々は具体的にどのような価値観を持っていたのでしょう?