残虐な青年天皇
武烈元年三月二日、カスガノイラツメ(春日郎女)※1を、皇后としました。
二年九月、妊婦の腹を割いて、その胎児を見ました。
三年十月、人の爪を抜いて、山芋を掘らせました。
十一月、大伴連(おおとものむらじ)・ムロヤ(室屋)に詔して、
「信濃国(しなののくに)の男丁(よほろ)※2を徴発して、城を水派邑(みなまたのむら)※3に造れ」
と言いました。それでその城を、城上(きのえ)といいます。
この月に、百済のオタラ(意多郎)※4が亡くなり、高田丘上(たかたのおかのえ)※5に葬りました。
四年四月、人の頭髪を抜いて梢に登らせ、木の根元を斬り倒し、登っている人を落として殺すのを楽しみにしました。
この年に、百済のマタ(末多王)は、無道で、民に暴虐な行いをしました。
国民は、ついにマタを排除して、セマ(島王)を立てました。これがブネイ(武寧王)です。