出会いと別れの季節に振り返る親族、家系、ルーツと性の目覚め

突然の離婚により、娘ふたりを育てることになった女装が趣味の小説家。「シングルファーザー」になってみると、彼にはこれまで想像もしなかったことが待ち受けていた……。今回は、出会いと別れの季節を迎えて、仙田さんが自らのルーツである母方、父方それぞれの親族との関りや性の目覚めについて振り返ります。

人生は出会いと別れの連続


photo by ちゃぁみい on photo AC

春は出会いと別れの季節だとされている。
次女も保育園を卒園して4月から小学生になるので、別の小学校に行く友達とは疎遠になってしまうだろう。
2人の子どもたちを3年間通わせた保育園には、私も行くことがなくなる。
平日の長い時間を子どもたちと過ごして、二人三脚で子育てをしてくれた保育士さんたちとはお別れだ。

こんなふうに、親子で大きな節目を迎えるのは初めてのこと。
「これまでありがとうございました」と挨拶をして人と別れて、「これからはよろしくお願いします」と挨拶をして新しい人に出会う。
生涯にわたって、子どもたちは折に触れてこのような出会いと別れを繰り返すだろう。

ある意味で人生とは出会いと別れの連続で、どの瞬間を取ってみても、次の出会いか別れへの途上にあるといえる。
そこで今回は、私が幼い頃に体験した、主に家族との出会いと別れを振り返りながら、子どもたちがこれから歩んでいく人生について思いを巡らせてみたい。

母方の親族や家系はルーツを保証してくれるものだった


photo by FineGraphics on photo AC

高度経済成長期の真っ只なかの1975年、大企業に勤める父親と専業主婦の母親のあいだに生まれた私は、京都市内のアパートで3人暮らしをしていたらしい。
近くに住んでいた祖母に手伝ってもらいながら母親は私を育てていたそうで、祖母の家の記憶が鮮明に残っている。

釜で炊く古い風呂、井戸、汲み取り式の便所……納屋には明治時代や大正時代の家具がたくさんしまってあった。
江戸時代には村の庄屋だったという祖母の家は広い座敷がいくつもあるお屋敷で、正月には親戚一同が集まって大人たちは餅をついて酒を飲み、子どもたちは凧揚げや羽子板で遊んだ。

私の一番古い記憶は、タライに張った湯に祖母の手でつけられながら、あまりの気持ちよさにウンチを漏らしてしまった、というものだ。
乳児の頃の記憶なのか、タライにつけられている写真を後に見て想像した光景なのかはわからない。
ただ、初孫だった私は祖母にとても可愛がられたことは確からしい。
親戚やいとこに聞くと厳しく怖い人だったというが、祖母は私には優しかったし、怒られた記憶はほとんどない。

日中戦争で最初の夫を亡くした祖母は、死別のシングルマザーとなって間もなく、長男を夫の家族に取られてしまった。
家督を譲るためだったらしいが、祖母はそれから長男が大人になるまで会えなかったという。
その後、4人の子どもを育てるシングルファーザーと再婚し、女の子と男の子をひとりずつ産んだ。
その女の子が私の母親だ。

第二次大戦中には都会から疎開してきた子どもたちを何人も受け入れて一緒に暮らしたりしていたらしいし、2人目の夫も後に事故で亡くしてしまうなど、祖母の生涯は苦労が絶えなかった。
それでも、大勢の子どもや孫に囲まれて過ごした晩年にはいつも穏やかな笑みを浮かべていた。
祖父の遺品にあった戦時中につけていた手帳を見ながら戦争の話をしてくれたり、江戸時代からの祖母方の家系図を見せてくれたりしたのを覚えている。

母親の弟である叔父夫婦にも、私はとてもよくしてもらった。
中学3年生の頃に不登校になったときには、叔母が頻繁に訪ねてきて、自転車や車であちこちへ遊びに連れて行ってくれた。
精神科の閉鎖病棟に入院したときや、東京でひとり暮らしを始めたときには、叔父が様子を見に訪ねてきてくれた。

両親には話しづらいことでも叔父と叔母には気軽に話せたし、たくさんの相談に乗ってもらった。
祖母や叔父夫婦のおかげで、母方の親族や家系は私にとって信頼できる、自分が誰でどこから来たのかを保証してくれるものであり続けた。

バックグラウンドが見えなかった父方の親族や家系

一方で、父方の祖母は、私たちと一緒に暮らしていた。
実家の母屋に隣接した離れで寝起きしていて、食事は私たちと共に摂っていた。
母方の祖母とは対照的に厳しい、というより怖い人で、一緒に遊んだりどこかへ出かけたりした記憶がない。

怖い、という印象はバックグラウンドが見えないせいもあっただろう。
祖母以外の父方の親族に、私は会ったことがない。
京都市内で畳屋を営んでいた祖父は、長男だった私の父親をとても可愛がっていたという。
大学の経済学部をでて一流企業に就職した父親は、自慢の息子だったのだろう。
一方で、他の4人のきょうだいはそうした道からは外れて、碌に家にも寄りつかなくなった。
だから祖父は亡くなるときに、家と土地を父親に遺して、その他の財産を他のきょうだいたちに分け与えた。

そのことに納得いかなかったきょうだいたちは、私が産まれて間もない頃に、家に押しかけてきた。
そして家と土地を手放せと父親に迫ったのだ。
私を抱っこしたまま、母親は家を飛び出して逃げた。
すると、きょうだいたちのひとりが車で追いかけてきて、母親と私を轢き殺そうとした。
実際には助かったわけだが、後に母親からこの話を聞いて、私はやるせない気持ちになった。

その後も事あるごとに、きょうだいたちは父親の人生に関わってきた。
勝手に父親を連帯保証人にして借金をしたせいで、借金取りが押しかけてきたことも1度や2度ではなかったらしい。
父親がよく夜にうなされていて、とつぜん飛び起きて窓に向かって何か叫んでいる姿を覚えている。
家を建て替えるときには、外からの視線が気になるからと異様なほど外塀を高く作らせて、ほとんどの窓ガラスはすりガラスにした。

20代の頃に、私は父方のきょうだいに再会した。
帰省して実家にいたところ、玄関先に誰かが訪ねてきて、父親と言い争っていた。
リビングルームで声だけを聞いていると、どうやら父親の姉とその恋人らしい。
どちらも非常に柄が悪く、オラついた口調で捲し立てている。
父親はうろたえながら受け答えをしていた。

話の内容を聞いていると、父親の姉たちは父方の祖母について何かを要求しているようだった。
母親によると、祖母はしばらく前から認知症になり、離れでほぼ寝たきりになっていた。
母親が介護していたのだが、ある日とつぜん20数年ぶりに父親の姉が現れた。
そして自分が介護をすると言いだした。
母親は不思議に思いながらも従った。

ところが父親の姉は数日置きにしか来ない。
1週間ほど経って母親が離れを覗いてみると、大量の洗濯物が溜まり、垢で黒ずんだ祖母が横たわっていた。
驚いた母親は祖母を風呂に入れて洗濯機を回した。
その後も父親の姉は数日置きに現れて、そんな生活が半年ほど続いた。

父親の姉とその恋人がやってきたのはその矢先だった。
そして、祖母を連れていきたいということと、父親や私やその子どもたちは先祖代々からの墓に入れないということを要求していた。
代わりに、父親のきょうだいは今後いっさい父親やその家族と関わらないことにすると。

きょうだいの借金の肩代わりをしたり、借金取りに追われたり、きょうだい間の揉め事に妻子を巻きこんだりといった暮らしに、父親は疲れきっていたのだろう、その要求を呑んだ。
玄関先で会話が続いているあいだじゅう、私は父親の姉とその恋人の顔が見たいという好奇心を抑えきれなかったが、父親の面子を潰すことになるだろうとこらえた。

その日のうちに祖母は離れからいなくなった。
そして、1年も経たないうちに亡くなったらしい。
父親がそのことを知らされたのは亡くなってから半年後のことで、祖母とずっと一緒に暮らしていた私たち家族は、葬儀に参列することもできなかった。

性の目覚めは自我の目覚め

自分のルーツは確かにそこにあると確信できる母方の親族や家系と、会ったことがなく顔もわからず、父親より以前にルーツを遡ることができない父方の親族や家系。

このことを思うと、私は体の半分が透明になったように感じる。
半分透明なまま、どのようにして私の自我は形成されていったのだろうか。
子どもの頃の記憶を探っていくと、暗闇のなかにときおり光が射すように、断片的な場面が浮かび上がる。

先述したタライのなかでウンチをした場面もそのひとつだが、それは与えられた光景をそのまま受け取った受動的な記憶でしかない。
自分から選んで導いた能動的な記憶だと思えるのは、性にまつわるものだ。

初めて性に目覚めたのは幼稚園の頃だった。
私は迎えの時間が遅く、同じようにいつも残っている女の子と仲良くなった。
ゆかりちゃんという名前のその子とは、どんぐりや匂いつきのティッシュペーパーなど、お互いの大事なものをよく交換していた。
そして2人きりになったある日、私はゆかりちゃんを抱きしめた。
柔らかくて熱くて、とてもいい匂いがした。

小学生の頃には、私より2歳上の姉とひとつ下の弟のきょうだいがすぐ近所に住んでいて、私の妹も交えてよく一緒に遊んでいた。
家族が誰もいないそのきょうだいの家で、お姉ちゃんと2人きりで遊んだことがある。

カーテンレールとカーテンレールのあいだに洗濯ロープを張り、その上にタオルケットを何枚も乗せてテントを作った。
即席テントのなかでお菓子を食べたりマンガを読んだりして遊んだのだが、気がつくと私はお姉ちゃんを抱きしめていた。
お姉ちゃんも私を抱きしめてくれて、しばらくそのまま抱きあっていた。
そんなことがあったのは1回だけで、その一件についてお姉ちゃんと話したこともない。

幼稚園児の頃と小学生の頃の、この淡い性的な記憶は、私が自分の意思で何かを選んで行動した記憶のなかの一番古いものだ。
その意味で、性に関する記憶を遡っていくと、自我が形成されていく過程を逆再生して見ているような気になることがある。
そこに登場する人々は、まだ自我が形を持つ前の私を外側から見ていたんだなと思うと不思議な感覚に陥る。

そういえば先日、長女の通う学童保育で、「学くん!幼稚園一緒やったん覚えてる?!」と見知らぬお母さんから声をかけられた。
18歳から大阪、その後は東京で暮らしていた私は、こんな形で不意に地元の古い知りあいと再会することがある。
彼女の下の名前はまだ聞いていないが、「ゆかりちゃん」だったらどうしよう。

(協力:アップルシード・エージェンシー

◆ 次回は2021年4月21日(水)公開予定

*本連載が『ときどき女装するシングルパパが娘ふたりを育てながら考える家族、愛、性のことなど』(WAVE出版)として、11月17日に発売されました。

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この連載について

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女装パパが「ママ」をしながら、家族と愛と性について考えてみた。

仙田学

突然の離婚により、娘ふたりを育てることになった女装趣味の小説家。「シングルファーザー」になってみると、彼にはこれまで想像もしなかったことが待ち受けていた。仕事と家事・育児に追われる日々、保育園や学校・ママ友との付き合い、尽きることのな...もっと読む

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