奮闘するひとの止まり木
『深夜食堂』と「深夜薬局」は通ずるところが多い。
しかし、である。
ニュクス薬局は、
サードプレイスやコミュニティのように、「集い合う場」ではない。
どこかすぐれないところを抱えたひとが、ひとりでやってくる場。
来たときよりも少し元気になって、またがんばりに行く場。
がんばって疲れたら、また安心して帰ってこられる場。
ここは……「止まり木」、ではないだろうか。
ひとりで奮闘しているひとの、休息場。また飛び立つためにちょっと羽根を休ませて、英気を養う場。ひとりではどうしようもなくなったひとや、少しさみしくなったひとが、無意識に、あるいは意識的に「助けて」を言いにやってくる場。
そこに常にいるのが、中沢さんなのだ。
薬剤師の中沢さんは「優しい止まり木」だ。
「どうしたの、今日は?」
「親知らず。抜いたとこ、すっごい痛くて。でも仕事あるし」
「かなり痛む? 鎮痛剤出てるね」
「でも前ここに来たときよりメンタル元気! 彼氏とも仲直りしたし(笑)」
「それはよかった、いまも一緒に住んでるの?」
「そうそう。次浮気したらまじ許さんって念押ししたし。でもさ、ホストなんて付き合うもんじゃないよね〜」
なんてことのない雑談だ。
この女性は2年くらい来つづけているという。
その間に付き合った彼氏や仕事のこと、中沢さんはだいたい知っている、という。
来ては飛び立ち、また戻ってくる……、絶対に裏切ることなく中沢さんが聴きつづけたストーリーは、ニュクス薬局の中にしずかに蓄積されている。
お酒があればバーになるわけではないように、薬があれば薬局になるわけではない。中沢さんの存在やキャラクター、距離感、考え方がニュクス薬局をかたちづくっている。きっと、「歌舞伎町にある深夜営業の薬局」という舞台設定だけでは、みんながふと足を向ける場になりはしないだろう。
中沢さんと、ここに集う「ひとり」ずつの関係性。
それこそが、ここを居場所に——優しい止まり木にしているのだ。
子どものころは、誰にでも、そんな場所があったはずだ。
学校の保健室。
家に帰るとなんでも話を聞いてくれたお母さんの腕の中。
親友と泣きながら語り合った放課後の帰り道。
社会に出ると、なかなかそういう場所、そういう相手とめぐりあえない。
会社の上司や同僚では……利害関係が働いてなかなか本音では話せない。
恋人同士だと……嫌われてはいけないからと、ついつい遠慮してしまう。ましてや夜の歌舞伎町で仕事をしているとなると、仕事関係以外では気軽に話せる相手もなかなかいないだろう。
そんなときでも、中沢さんとなら気軽に話し合える。
利害関係がとくに深くあるわけでもない。嫌われたってかまわない。嫌いになったら行かなければいい。話したいときだけ話をして、話したくなければ座っているだけだっていいのだ。
ただ、傷ついた羽根を、傷ついたこころを、癒やせるだけの止まり木が欲しい。
傷ついた羽根を抱えているのは、もちろん歌舞伎町の住人たちだけではない。
だからこそ、歌舞伎町には縁もゆかりもない人であっても、「深夜薬局」にこころを惹かれるのではないだろうか?
深夜薬局のこれから
ニュクス薬局に何回も来ている女性たちが、たまたま友だち同士だった、ということもよくある。しゃべっているときに、
「あそこ、めっちゃ親身になってくれるよ」
と紹介したところ、
「えー、わたしも行ってんだけど!」
と返されたんだよね、と笑って報告された。そんな話がいくつもあるという。
常連の女性が、生まれたばかりの赤ちゃんを連れてくることもある。中沢さんは
「はたらいているお店でのお披露目ついでじゃないですかね」
と素っ気なく言うが、よほどこころを開いた相手に対してでなければ、わざわざ赤ちゃんを見せに来ることはない。中沢さんは「かわいいわたしの赤ちゃんの顔を見せたい」「喜んでくれるんじゃないかな」と思える相手なのだろう。
また、しばらく顔を見せなかった常連がやって来て、
「歌舞伎町を離れて、昼間はたらいているんだ。今日は新宿で飲んでたの」
と顔を出すこともある。「また来るね」と。
……どのエピソードを聞いても、すっかりこの地域に欠かせない存在になっていることがわかる。もし、この店がなくなってしまったら、この街に与えるダメージは計り知れないだろう。
「ほかにやりたいことができたから、店を閉めます、とはいきなり言えないですよね。ちゃんとだれかに引き継がないと」
ニュクス薬局は、中沢さんの店であって、中沢さんだけの店ではない。街にとって、この薬局を訪れるひとにとって、なくてはならないものになっているという自負はある。ならばこれからも、ずっとニュクス薬局ではたらきつづけるのだろうか。
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