※牧村さんに聞いてみたいことやこの連載に対する感想がある方は、応募フォームを通じてお送りください! HN・匿名でもかまいません。/バナー写真撮影:田中舞 着物スタイリング:渡部あや
耳ざわりのよい肯定が、スマホの画面を流れていきます。
「ありのままでよいのですよ」 「そのままのあなたでよいのですよ」 「そういうひとはほかにもいるのですよ」
いつしか、そればかりを求めてしまう。
誰かの決めたハッピーエンドに向かわされるのではなく、自分の人生の物語は自分のペンで書いていきたいわねっていう人生相談連載「ハッピーエンドに殺されない」。今回は、こんなご投稿です。
「好きとか愛してるとかよくわからない。付き合えばわかるかなと思ってとりあえず付き合っちゃう」
この連載がただただ「ありのままのあなたでよいのですよ」肯定を提供するコンテンツであれば、まあ、こんな感じに答えたのかもしれません。「わからなくてよいのですよ。世の中には他者を恋愛や性愛の対象としない人々もいます。あなただけじゃないから大丈夫。あなたはあなたらしく、あなたを大切にしてくださいね……。」
それを期待されているのかもしれませんが、わたしは、やりません。
他者からの「それでよい」を与えられることを待つばかりでは、自分での「これでよい」を求めにいくことができず、結果、都合よくコントロールされてしまう人たちばかりになってしまうので。
人生相談を書き続けて7年目。毎週だった連載ペースを、この頃は大体隔週に落とし、こんなことを自分に課しています。「なまぬるい『そのままでよいのですよ』を提供しない。思想の依存関係を断ち切り、読者が求める答えそのものではなく、読者が答えを求めて一人で歩いていく旅に役立ててもらえる材料を書く」
今回は、「わかりません」に「わからないままでよいのですよ」を言わず、「どうわかろうとしていこうか」を考えるお話です。以下、おたよりです。
誰かを好き、愛してるという感情がよく分かりません。今まで仲良くなってこの人といたら居心地が良いなという気持ちになったことはありました。ですが、相手に告白された時自分も相手のことを同じ意味で好きか分からず、でも告白されたことで嬉しいと思ってしまい流れで付き合ってしまうことが多いです。
付き合っているうちに、相手との気持ちの差を実感し、次第にLINEなど返信するのが億劫になったり、気持ちが重いと感じてしまい最後は酷い終わり方をします。
それなら最初から付き合わなければいいと思うのですが、今回こそは好きという感情が分かるかもしれないと思ってしまってOKしてしまいます。
自分から告白したことは1度もありません。一緒に居て楽しい、好きかもしれないと思う人はいましたが、恋愛となると必ず億劫になってしまったと思います。
人生のパートナーは欲しいと思いますが、恋愛になるととてもめんどくさいと感じます。時間が経てばそれが楽しいと分かるようになるでしょうか。
まずお伺いします。
眠れていますか?
食べていますか?
面倒くさいと文句を言いながらもLINEを使い続けていませんか?
おたよりを拝読してまず思ったのがこれです。
「心配。」
「よく分かりません」から始まるこの文章には、「億劫」が二度出てくる。そして、「分かりたい」という意思は感じられない。「分かるようになるでしょうか」で結ばれる。
あなたはおそらく、分かりたくないんですよね。分からないままで大丈夫だと思いたい。けれどなんか大丈夫じゃない感じがするから、「分かるようになるでしょうか」と、自分じゃない誰かに求めた。時間に。牧村朝子に。あなたに告白してきた人に。
ここまで主体性を奪われる、気力を奪われる、何もかも億劫だと思ってしまう、自分じゃない誰かに委ねてしまう、というのは、「おたよりに書かれていないところで何かある」としか思えないです。根本的にあなたは、あなたがそのようにあることを、あなた自身で大丈夫だと思えていないのではないですか。
もし、そうだとしたら。