最終話】「この国の若者を正しい方向に導いてくれ」| 至誠通天(十三)

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚! 早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男はどのような人物だったのか? 幕末の佐賀藩に生まれ、明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への道筋を切り拓いた男の思想と生涯とは。青年期から最晩年まで、「走る人」「闘う人」「創る人」「聞く人」として駆け抜けた、令和版大隈像をお楽しみください。


十三


 二大政党制の実現は道半ばだったが、大隈にも落日が迫っていた。原敬の暗殺と裕仁の摂政就任の三カ月ほど前の八月、天機奉伺(天皇へのご機嫌うかがい)のため、天皇が療養している日光に赴いた大隈は、この時の暑熱にやられて体調を崩した。

 九月下旬にはやや快復したが、十月半ば以降、腎臓炎に膀胱カタルを併発し、再び病床に就いた。

十一月になって病状は悪化の一途をたどり、遂に固形物を受け付けなくなる。

十二月に入ると、再起不能を覚悟し、公的なことも私的なことも、自分の死後を見据えた手を打ち始めた。その一環として、大隈は雑誌「大観」に自らのラストメッセージを掲載してもらうべく、記者を呼んだ。


「まさか君が来るとはな」

「『大観』から、八太郎さんの『最後の言葉を聞いてほしい』という依頼を受け、驚いて駆けつけたのです。しかし元気そうで安堵しました。これなら大丈夫です」

 久米が笑みを浮かべる。

久米は大隈より一つ下だが、いたって健康で、昭和六年(一九三一)まで生き、九十一歳の天寿を全うすることになる。

「気休めは言うな。見ての通り、もうここから動けんよ」

「八太郎さん—」

 久米の目には涙がたまっていた。

「泣くな、丈一郎」

 大隈が久米を幼名で呼ぶ。

「すいません。では始めさせていただきます。まず、第一次大戦後の国際社会は、どのように変容していくとお思いですか」

「いよいよ先の読めない時代になった。まさか些細なことから、あの欧州で、あれだけの大戦が起こるとは、思ってもみなかった」

「全く同感です。われわれの教師だった欧州が、あれほどの戦争をするとは思いもよりませんでした」

「そうだ。欧米の文明は極めて優れていた。わしは長崎でフルベッキ先生から欧米の文明について教えられた時、これほど素晴らしいものはないと思った。しかしヴェルサイユ条約と戦後の体制は、ドイツを苦しめるだけのもので、ドイツは大きな反感を抱いている。戦争に勝った英仏内でも反発があるくらいだ。こうした問題は、欧州文明の根源に基づいている」

「それは何ですか」

「まず欧州の人々は、自らが優れた人種だと勘違いし、自らの賢明さに絶対の自信を持っていた。だが此度の大戦で、それが揺らいできた。それでも頑なに自らを誇示し、いまだ世界に冠たるものと思っている。植民地支配がいい例だ。あんな効率の悪いものでも、そこに商人たちの利権がある限り、政治家は何もできない。さらに欧米では今、労働運動や社会主義思想が台頭してきている。元々、欧米の国民には権利意識が強く、これまで従順だった労働者たちが資本家に反発し始めている。これも危ういことになるだろう」

「つまり今の世界を取り巻く不安は、一にドイツの反発、二に植民地の人々の反発、三に労働者たちの反発ということですね」

「そうだ。これらのことから、世界は混沌としてくるだろう」

「では、日本はどうすべきとお思いですか」

 久米が前のめりになって問う。

「日本は三千年の歴史を持つ道徳国家である。この道徳は日本国民の中に染み込んでおり、欧米のように権利ばかりを主張し、義務を怠るような国民性ではない。明治維新後、日本は『和魂洋才』を合言葉に西洋文明を取り入れ、アジア諸国の中で、いち早く産業革命の果実を手にした。それができたのは道徳精神を持つ優秀な国民がいたからだ。本来なら中国こそアジアのリーダーたるべき存在だ。しかし中国人は利己的で道徳心を持たない。だから目先の利益に囚われ、長い目で産業を育て、時には利他的なこともする文化が育たなかった。しかし誇りばかりは高い。これでは近代化は図れない」

「なるほど。民族性や精神性の面で、日本は中国と大きな隔たりがあったわけですね。それが近代化の面で差がついてしまったと—」

「そういうことだ。かつてわしは『中国保全論』を唱え、日英同盟を結ぶ英国に、中国の近代化を託し、日本は朝鮮半島に注力すべしと唱えたが、英国の植民地政策は搾取ばかりで、植民地の発展を考慮しない。ここにこそ欧米人の傲慢が表れており、とても中国を託せない。それゆえ今は、日本が先頭に立って中国に近代化を促すべきと思っている」

「しかし、そうなると軍部は中国の植民地化を図ろうとします」

「それが間違いなのだ。搾取するよりも育て上げる。それによって友好関係を築いていくのが、まっとうな外交というものだ。そうすれば十年後には近代化が成り、双方で利のある関係が築ける。軍事力による支配は、日本の力が弱まった時、強い反発を食らうだろう」

「われわれ日本人は、中国に対して、また国際社会に対して、どうすればよいのでしょう」

「中国の近代化のみならず、国際間の秩序の維持も含め、解決の糸口はある。それが文明の進歩だ。人は愚かな生き物で、成長していくには膨大な時間がかかる。それに反して科学技術は長足の進歩を遂げていくだろう。飛行機が発達すれば人の行き来が激しくなり、関税など撤廃せざるを得なくなる。国境のない世界が到来するのだ。そうなれば国家や個人の利己主義など吹っ飛ぶ」

 大隈が希望に満ちた顔で続ける。

「科学技術、すなわち文明の進歩こそ、あらゆる問題を解決してくれる。そのためにも人材を育成していかねばならない。わしは三十年以上前に早稲田大学を作っておいてよかった。それが今の日本に、どれだけ貢献していることか」

「そうですね。教育こそ国家の根幹です」

「丈一郎、覚えているか」

「弘道館で学んだ日々ですね」

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威風堂々 幕末佐賀風雲録

伊東潤

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚! 早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男はどのような人物だったのか? 幕末の佐賀藩に生まれ、明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への道筋を切り拓いた男の思想と...もっと読む

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