どうやら今回は山縣さんに負けたようです」| 至誠通天(十二)

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚! 早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男はどのような人物だったのか? 幕末の佐賀藩に生まれ、明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への道筋を切り拓いた男の思想と生涯とは。青年期から最晩年まで、「走る人」「闘う人」「創る人」「聞く人」として駆け抜けた、令和版大隈像をお楽しみください。


十二


 大正九年五月、第十四回総選挙の結果、原敬率いる政友会は四百六十四議席中、二百七十八議席を獲得する大勝利を収めた。一方の憲政会は八議席減らして百十議席にとどまった。これにより二大政党の相互監視による政治運営は画餅に帰し、政友会一強体制となった。

 同時に山縣が自身の病気で急速に力を失いつつあり、大正五年の末に大山も死去していたため、元老の西園寺と松方の発言力が大きくなっていた。西園寺は元政友会総裁で、松方は西園寺と緊密な関係を強めている。つまり政友会の一強体制に歯止めが効かなくなっているのだ。

 しかも山縣の立場は、「宮中某重大事件」でさらに悪化する。

「宮中某重大事件」とは、皇太子妃に内定していた久邇宮良子親王の家系に色覚異常の遺伝子が伝わっている可能性があることから、山縣が婚約破棄を強く主張したところ、在野の国士が猛反発し、一大政治問題となった事件のことだ。

批判を浴びた山縣は一切の官職と栄典の返上を申し出たが、それは却下されて元老の地位にとどまっていた。だがこれまで支持されてきた国粋主義者からも指弾され、山縣の立場は悪くなる一方だった。

 しかもこの頃、天皇自身が脳の疾患を抱え、通常の判断ができないようになっていた。このままでは政友会の独裁体制が築かれ、野党も国民も政治に容喙する余地はなくなる。

これに危機感を抱いた大隈は驚天動地の策を思いつく。


大正十年六月十一日、大隈は山縣有朋の邸宅「椿山荘」を訪れた。

季節は梅雨。外は昨夜来降っていた小雨がやんだばかりで、椿山荘に咲く紫陽花は生き生きとしていた。

—人も花も、水をやらねば元気が出ない。

このところ胆石と右足痛に悩まされていた大隈は、食も細くなっていた。

執事の先導で入った洋風の客間で、すでに山縣は待っていた。

 時候の挨拶をした後、大隈が快活に言った。

「見事なお屋敷と庭園ですね」

 食堂からは山縣自慢の庭園が見渡せた。

「ありがとう。わしが残せるのは、これくらいだからな」

 山縣が自嘲する。

「何を仰せですか。山縣さんの功績は比類なきものがあります」

「世辞は結構だ。それよりせっかくだから散策でもしようか」

「お体は大丈夫なのですか」

「ああ、このところ庭を散歩するくらいはできるようになった」

 山縣はここ数年、体調が悪く、この年も年初には感冒(スペイン風邪)にかかり、生死の境をさまよっていた。

 二人はゆっくりと山縣自慢の庭を散策した。

 弁慶橋と命名された朱塗りの欄干の橋を渡りつつ、山縣が語る。

「ここは元々、竹裏渓と呼ばれる沢だったんだ。五月には今でも蛍が飛んでいてね。とても美しい。君に見せられなくて残念だ」

「子供の頃、佐賀では嫌というほど見ましたが、ここ数十年は多忙を極めていたので、蛍を見ていません」

「ははは、君らしいな」

 続いて幽翠池と呼ぶ池の畔を歩いた。

「ここには十万以上の松虫や鈴虫がいる。秋になると心地よい音を奏でてくれるんだ」

 山縣が子供のように微笑む。

 やがて五丈滝の近くに造られた四阿まで来たところで、山縣が「ここで話すか」と言って座を勧めた。

「大隈さん、あらためてよく来てくれた。君とは難しい関係になっていたので、こうして二人で会話ができるとは思わなかった」

「そうですね。互いにあの世に行ってからでは遅いですからね」

 二人が声を上げて笑う。

「さて、政局のことだね」

「ええ、まあ。雑談だけして帰りたいところですが、そうもいきません」

 大隈が威儀を正して問う。

「原内閣について、どう思われますか」

「ははあ、そこから来たか」

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威風堂々 幕末佐賀風雲録

伊東潤

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚! 早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男はどのような人物だったのか? 幕末の佐賀藩に生まれ、明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への道筋を切り拓いた男の思想と...もっと読む

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