大隈さんに総理大臣就任の大命が下りました」| 至誠通天(九)

豪腕作家として知られる伊東潤が描く、大隈重信の成長譚! 早稲田大学の創始者で、内閣総理大臣を2度務めた大隈重信という男はどのような人物だったのか? 幕末の佐賀藩に生まれ、明治期に藩閥政治から立憲・政党政治への道筋を切り拓いた男の思想と生涯とは。青年期から最晩年まで、「走る人」「闘う人」「創る人」「聞く人」として駆け抜けた、令和版大隈像をお楽しみください。



 大正三年(一九一四)、ドイツのシーメンス社のドイツ人が日本海軍の高官へ贈賄を行った事件を、各新聞が一斉に報じた。シーメンス事件である。

 山本権兵衛首相の出身母体の海軍軍人が、この贈賄事件にかかわっていたことで、山本は世論の強い批判を浴び、「予算不成立」を理由に三月に総辞職する。

 急遽、元老会議が開かれ、貴族院議長の徳川家達に大命が下った。しかし徳川家達は、「徳川家の当主が政権のトップに立つのは、時代錯誤ではないか」と言って固辞したため、適任者がいなくなった。


 四月十日、元老会議に参加している井上馨から連絡が入り、自邸で待っていてくれという。「何事か」と使いの者に問うても、「重要案件なので言えません。申し訳ないが、ご足労いただきたいとのこと」の一点張りだった。

 井上は昨年、脳溢血で倒れて以来、歩行もままならなくなっていたので、大隈も「用があるなら、そっちが来い」とは言えない。

 大隈は自動車で早稲田の自邸を出て、六本木の内田山にある井上の別邸に向かった。

 執事に案内されたのは、井上自慢の茶室「八窓庵」だった。だが大隈が「足が悪いので座れない」と告げると、執事は「失礼しました」と言いつつ、「光琳の間」と井上が呼ぶ尾形光琳の襖絵が見事な部屋に通してくれた。

「こちらでお待ち下さい」

 すでに大隈は何度か訪れているが、あらためて井上が収集した美術品の数々に感嘆した。

 三十分ほどすると外が騒がしくなり、井上が帰ってきた。

「お待たせしてしまい、申し訳ありません」

「いえいえ、お気になさらず。よほど重大なことなのですね」

「そうなのです」

 井上が無礼を詫びる。

「本来なら早稲田に行くところを、無理にお呼びだてしてしまい申し訳ありませんでした」

 井上は座に着くや、前置きなしで言った。

「大隈さんに総理大臣就任の大命が下りました」

 大命という言葉が出たので、大隈は座ったまま背筋を伸ばす。

「予想はしていましたが、かような老骨に務まるかどうか」

「われわれも元老会議で徹底的に論じ合い、この難局を切り抜けられるのは大隈さんしかいないという結論に達しました」

「そう言っていただけるのは、老骨にとってうれしいですが、山縣さんにも同意いただけたのですか」

 閥族政治の代表と化していた山縣は、憲政政治の象徴たる大隈を嫌い、ことごとく対立していた。かつて山縣は目白の高台に別邸の椿山荘を造った際、「自分の嫌いなものは第一に社会主義者。第二にあれだ」と言って、眼下に望める早稲田の大隈邸を顎で示したという。

「ところが山縣さんは、伊藤さんが結成した政友会が肥大化した上、最大野党として君臨し、事ごとに反政府的言動に出ていることを危惧し、『政権を政友会に渡すくらいなら、大隈にくれてやる』と仰せでした」

 二人が声を合わせて笑う。

笑いが一段落したところで、「しかし」と大隈が前置きする。

「私は政党政治を根付かせるために、総理大臣をもう一度やりたかった。しかし『はい、そうですか』とばかりに飛びつくわけにはいきませんぞ」

 すでに大隈に大命が下るという噂は出ていたが、それを大隈が知ったのは二、三日前だった。それでも大隈は、拝命する条件だけは考えていた。

「分かっています。条件をお聞かせ下さい」

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伊東潤

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