東京電脳探偵団

第1回 Prologue

戦う初音ミク登場!人気ボーカロイド楽曲のノベライズ『東京電脳探偵団』の一部を公開します。
ここは架空の街[東京]――3年前の自身と津波によって荒廃した第24ベイエリア街区の一角で、双子のリン、レンと貧しいながらも支えあいながら暮らすミク。生活のために探偵業を始めたミクたちの活躍と、メイコやカイトたちが所属する謎の組織パンデモニクスの陰謀を描く、本格サスペンス・アクション小説!



『東京電脳探偵団』はこちらから聴けます♪

 

 男はリビングのソファに腰掛け、まるで眠っているようだった。
 彼が薬を飲むところを目撃していなければ、誰もが寝ていると思うだろう。俯き加減の死に顔はとても安らかだ。口の端から僅かにあふれたあぶくが、分厚い二重顎を伝って首筋に染みている。

 メイコは息苦しくなって襟を緩めた。肌が少し汗ばんでいる。二、三度扇いで胸元の空気を入れ替えた。
 人が死ぬ瞬間に立ち会ったことは何度かあったが、自ら死を選ぶ様を目の当たりにしたのは初めてだった。それは想像以上にエネルギーの要ることで、彼女がこれまでに見てきた、死を悟った人間たちの諦めたような運命の受け入れ方とはまったく異質のものだ。

 メイコがカイトと二人でここに来たとき、男はまだ生きていた。二人の顔を見るなり彼は部屋の奥へと駆けだした。拳(こぶし)一個分開いたドアの隙間から、メイコが怒鳴る。
「待てっ! 逃げるな!」
 カイトがチェーンロックをボルトカッターで切断するのに手間取ってる間に、男はどこからか取り出したドリンク剤の壜(びん)の蓋を開けてソファにどっかと腰を下ろした。チェーンが切れてドアが開き、メイコが靴も脱がずに部屋へ踏み込むと、男は祝杯でも上げるかのように壜を高く掲げていた。そして今にも飛び出しそうに開ききった目をメイコから逸らすことなく、強く握った壜の中身を一気に飲み干したのだ。

 メイコは両手で男の襟首を掴み、前後に激しく揺すった。
「誰に頼まれた! 相手は誰だ! 名前を言え!」
 そのときにはもう、男は息をしていなかった。ただ肺の中の余った空気を押し出すように、じわじわと口元から泡をはじけさせていた。
 メイコが手を離すと、男は首をガクリと斜め前に傾けて、弛緩した体をクッションに沈ませる。

「なにも自分から死ぬことはないでしょうに……」
 カイトが男の顔を見下ろし、話しかけるように言った。肘掛けを越えてだらりと床まで伸びた手に、蓋の開いた壜が握られたままになっている。カイトは手袋をした手で壜を拾い上げ、顔の前まで持っていって臭いを嗅いだ。
「青酸ソーダですか。一体どこで手に入れたんです?」
 当然だが答えはない。カイトは小首を傾げ、壜をテーブルの上に置いた。こんな状況でもこの男は笑みを浮かべて余裕の表情だ。

 メイコは部屋を見回してみた。十帖ほどのLDKと六帖の和室。男の一人暮らしには十分な広さだろう。白い壁の隅がやけに暗いのはタバコのせいか煤けた室内灯のせいか。壁添いに50インチオーバーのディスプレイ、それが載っているラックの中にレコーダーとゲーム機が数台ひしめき、周辺に裸のメディアが散乱している。ところどころにゴミ袋や脱ぎ捨てた服が放置されているところからみて、他人がここを訪ねることはほとんどないのだろう。キッチンに目をやると空になったラーメンのカップやコンビニ弁当の器が積み重なって、その間に枯れ枝のような割り箸が何本も刺さっている。

 男は45歳、組織のために働いて20年と聞いた。20年もアンダーグラウンドの研究者として生きてきた末路がこれかと思うと、メイコはなんともやりきれない気持ちになった。部屋中に滞っている、この男の重ねてきた生活の澱(おり)のようなものに悪酔いして吐き気がこみあげる。
「カイト?」
 助けを求めるように同僚の名を呼ぶ。
「……どうしました?」
 少し間を置いて答えがあった。和室とリビングを隔てる襖が開いている。

 メイコは襖の陰から隣の部屋を覗いた。暗い中に室内灯もつけず、カイトは机の前に立ってやや前かがみでパソコンを操作していた。マウスを左右に振って何度かクリックすると、目の前で光を放つ三台の液晶ディスプレイのウィンドウが開き、ファイルのリストを表示しながらスクロールしていく。彼のメガネが画面からの無機質な光を反射してどこを見ているのかわからない。手掛かりを探そうとしているのか、それとも気まぐれに覗いているだけなのか、メイコには判断しかねた。

「……この小さい箱の中に、あの男の人生が全部詰まっているわけですよ」
 カイトは言った。
「ディスク容量は合計16テラバイト。たかがこんな容量に、人の一生は収まってしまうんですね」
 カイトは俯いてディスプレイに顔を向けたまま、マウスを動かす手を止めた。
「そして人間のDNAデータはそれよりも遙かに少ない。全遺伝子情報で1ギガバイトに満たないんです。我々とあの男の違いはその1ギガバイトのどこかの、ちょっとした差でしかないというわけです。片や自ら命を絶ち、片やこうしてその後始末……まったく、因果なものだとは思いませんか」
 珍しくカイトの言葉に棘があった。普段あまり感情的な物言いをしないのに、今日は苛立ちを隠し切れていないように、メイコには映る。
「組織を裏切って、逃げられると思ったのか……我々も舐められたものですね?」
 そう言った彼の視線は鋭く、刺すようだった。メイコはカイトの視線が向けられると水晶体の奥まで見透かされるような気がして、いつもなんとなく目を逸らしてしまう。しかし今は他に目をやるにも、視界に赤の他人の生活の跡が映り込むのが嫌で、カイトを見つめ返した。
 彼の視線が、ふと和らいだ。
「行きましょうかメイコさん」
 カイトはPCの電源をそのままに、彼女の横をすり抜けながら肩をぽん、と軽く叩いた。

「ここはどうするの?」
「もう用はありません」
 メイコはカイトのあとをついていく。もっとここで手掛かりを探すものだとばかり思っていたのだが、そんなつもりはないらしい。カイトは玄関に転がしたままのボルトカッターを拾うと、さっさと外へ出た。メイコは今一度ソファを見る。男はやはり座ったままだ。もしかしたらまだ生きているかもしれない、という考えが一瞬頭をよぎったが振り払った。
「メイコさん。気にすることはありませんよ。我々だってなにかの間違いで同じような目に遭うかもしれない」
 こくり、と頷いてメイコは、カイトに続いた。

 マンションの五階から階段で地上へ降りる。常夜灯もない真っ暗な駐輪場を横切り、裏の細い路地を歩いて停めておいた車に向かう。メイコは部屋が気になって、歩きながら一度二度と振り返った。
「あのままにしておくの?」
 カイトはメイコの問いにも足を止めず歩き続ける。
「あの部屋に、データの流出に関する証拠はありません。おそらく全て隠滅済み。だからこそ、彼は死ぬことができたんです。あとはもう、ラボのデータ通信ログを洗うしかない」
「でも、取引相手に繋がるようななにかが部屋に残ってるかもしれないじゃない?」
 メイコは食い下がったのだが、カイトは聞く耳を持たない。
「まだなにか残ってるかもしれないと思うから未練が残るんです。なにもなければ調べようがないんですから、最初からないものと思えばいいんです。すなわち、早くここを離れないと……」
「カイト、まさか—」
 メイコがマンションを見上げたそのとき、ドン! という音と共にさっきまで二人がいた部屋のドアが吹き飛び、炎が巻き上がった。ドアは通路の手すりに一度ぶつかって跳ね上がり、見ているうちに弧を描いてメイコ目掛けて降ってきた。
「えっ?」
 とメイコが思ったか思わないかのあたりでスチール製のドアが目の前の地面に垂直に突き刺さった。
 カイトがメイコの腕を引っ張る。
「なに突っ立ってるんです! 爆発がもう一回……」
 二度目の爆発は一度目よりは小さかったが、その熱と圧力を背中に感じ、メイコは軽く前につんのめりそうになる。振り返れば部屋の入り口から黄色い火柱が塊になって夜空に上っていくのが見える。

 カイトは車に辿り着くと後部座席にボルトカッターを放り投げ、運転席に乗り込んだ。メイコも助手席に乗ってドアを閉め、シートにもたれかかって大きく息を吐いた。
「カイト、なに考えてんのよ……」
「メッセージですよ。敵へのね」
 車がライトも点けずに走り出す。メイコはドアの窓を開けて顔を出した。きな臭い風が車内に入り込む。後ろを見ると、オレンジ色に染まった空にマンションのシルエットが浮かび上がっていた。
 炎はやがて黒煙となって、火の粉をいながら闇に消える。次第に遠ざかっていくその光景を、メイコは美しいと思いながら眺めていた。

 

 

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ケイクス

この連載について

東京電脳探偵団

MONQ /PolyphonicBranch /石沢克宜

「こちらは、東京電脳探偵団。報酬次第で危ない仕事も請け負います。」 初音ミク、鏡音リン、レン、巡音ルカ、KAITO、MEIKO……人気ボカロキャラが織り成す人気ボーカロイド楽曲『東京電脳探偵団』のノベライズ。 ...もっと読む

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