採算度外視の小鉢が絶品【生姜焼き定食】味とめ

地元民から愛される絶品メニューがある。キャベツがぱりっと新鮮。漬け物はできる限り自家製。安い。女ひとりもOK。5条件を満たす定食屋を『東京の台所』の著者・大平一枝(おおだいらかずえ)が訪ね歩く。儲けはあるのか? 激安チェーン店が席巻するなか、なぜ地価の高い都会で頑張るのか? 絶滅危惧寸前の過酷な飲食業態、定食屋店主の踏ん張る心の内と支える客の物語。三軒茶屋の名物通りにある大衆割烹の定食を食べてみた。


「たましいの」きゃらぶきなど、小さな書き込みが楽しい品書き

 狙っているつもりはないが、安くておいしいな、家族経営であったかい雰囲気だなと私が惹かれる店には高い確率で、とんねるずのきたなシュランの人形が隅にある。トロフィー代わりの小さなフィギュアだ。知らない人は、『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系列1997〜2018)でググってください。

 その11年前のロケを、83歳の店主、辻教子さんは鮮明に覚えている。「のりさんがいわしのつみれをおいしいおいしいって言ってね。サインもしてくれたの」。メニュー札で埋もれそうな壁の片隅に、カタカナで『ペレ』と書かれていた。それにしても、いつもとんねるずのふたりの舌は確かだ。本当においしいものを紹介しているとこの店でも再確認。


生姜焼きは甘辛すぎず、薄すぎず。玉ねぎも歯ごたえも残る王道の味

 故・坪内祐三、古田新太、平井堅、太田和彦、長澤まさみ……。教子さんの口からはすらすらとこの店を訪れた人たちの名が出る。とりわけ坪内祐三さんは常連で、教子さんや店の従業員は“薬局のおじさん”と呼んでいたそうだ。

「どこからおいでいただいたのと聞いたら、薬局の2階からとおっしゃるので。有名な作家さんと知ったのはずいぶん経ってからです」


三軒茶屋駅から徒歩2分。自粛前は朝までやっている店も多かった

 三軒茶屋のすずらん通りで52年。庶民的なこの店に来る多数の著名人以外にも、驚かされることはたくさんある。

 まず壁中に貼られたメニューの多さだ。その数約300種。刺し身や煮魚はもちろん、くじら、うなぎ、ふぐまである。
 旬を大事にしていて、その季節にしか採れない食材が豊富だ。私は2月の終わり、山菜の天ぷらを食べた。蕨(わらび)と独活(うど)の初物に感激した。

 山菜をはじめ旬の食材は、教子さんが収穫の時期に合わせて全国の道の駅の生産者から、取り寄せている。


定食の小鉢(昼)、お通し(夜)は毎日教子さんが仕込む。右はふくたち・なめこ・ザーサイの和え物

「ふきのとうなら千葉、秋田、八海山と産地をずらして取り寄せたら長く楽しめるでしょ。それが終わったら、きゃらぶきのシーズン。これもこの産地が終わったら北上して次の産地から送ってもらうの。どうやっておいしい食材を集めるかが勝負だね」

 あごだし醤油は壱岐の島から。一部の地域でしか採れない貴重な“はば海苔”は教子さんの故郷千葉から。食材や調味料のひとつひとつにこだわりがある。この日も、菜の花に似た秋田の伝統野菜“ふくたち”を現地から取り寄せ、それを惜しげもなく定食の小鉢や夜のお通しとして出すものだから、従業員に「採算が合わない」と怒られたらしい。

 そう、とにかく味とめは、小鉢の副菜がバラエティ豊富でとびきり凝っている。以前、じゃがいもをうにで和えたものがさっと出されたこともある。毎日、なにが出てくるかわからない。単品でも頼めるし、定食には小鉢と漬物とデザートの3種がつく。


古漬け180円。漬け物は日によってないものも

 またおしんこの種類の多さにも驚きだ。今日はいぶりがっこ、たくあんの古漬け、人参のぬか漬け、白菜とかぶの葉の浅漬け、野沢菜の5種が小皿にのってきた。

 いぶりがっこと野沢菜以外は教子さんの手作りだ。

 大根のぬか漬けの皮や紫蘇の葉、大根の葉などを合わせて一晩漬けた古漬け180円もある。私は昼、白飯の上にトッピングしたが、飲んだあとに、お茶漬けにしてもさぞ旨かろう。


はばのり納豆700円と赤ウインナー1本150円。いまやどちらも貴重

 メニュー数、採算度外視の小鉢のこだわり、自家製漬け物の豊富さに加え、最も驚くべきは、教子さんの元気ではつらつとした立ち居振る舞いである。

 取材を受けながらも、ずっと副菜の仕込みで手が動いている。

 声は店中に響くほど大きく、初めての客でも常連でも分け隔てなく話しかけ、「あのときはだんなさんと来たね」と記憶力抜群。おまけにトークがエンドレス。この明るさとバイタリティに惹かれて通う人も少なくない。


会計は教子さんの担当。油のしみたそろばんは手放せない

 コロナ禍になる少し前、ビルに建て替えた。その前は平屋の座敷スタイルで、座布団がずらりと並び、いつも満席でギュウギュウで隣り合っていた。今は自粛営業で静かだが、個性的な店がひしめき合う三軒茶屋、すずらん通りで52年も続いているのは彼女の人柄によるものもきっと大きい。

 板さん、煮物、焼き物担当の従業員はみな10年、20年選手だ。誰に話しかけても気さくでざっくばらんに対応してくれる。この一朝一夕にはできない家庭的な居心地の良さに、とんねるずのふたりもやられたんだろうなあ。

この続きは有料会員登録をすると
読むことができます。
cakes会員の方はここからログイン

1週間無料のお試し購読する

cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。

人気の連載

おすすめ記事

台所の数だけ、人生がある。お勝手から見えてきた、50人の食と日常をめぐる物語。

東京の台所

大平 一枝
平凡社
2015-03-20

この連載について

初回を読む
そこに定食屋があるかぎり。

大平一枝

絶滅危惧種ともいわれながら、今もなおも人々の心と胃袋をつかみ、満たしてくれる「定食屋」。安価でボリュームがあり、おいしく栄養があって…。そこに定食屋があるかぎり、人は店を目指し、ご飯をほおばる。家庭の味とは一線を画したクオリティーに、...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

Tweetがありません