深夜薬局

前代未聞の薬局。開局当初は「こわかった」

新宿・歌舞伎町に夜間だけ営業している「ニュクス薬局」。人には言えない、相談もできない。そんな、いろいろな事情を抱えたひとびとが訪れています。薬剤師の中沢さんは、なぜこんな薬局をつくったのか。「深夜薬局」ができ、街になじむまでの物語。今回はその第3弾。ライターの福田智弘さんがくわしくお話しを伺いました。2月18日発売の『深夜薬局』より特別公開します。

「安定」より、「おもしろいほう」

2014年1月4日、ニュクス薬局は、無事に開局のときを迎えることができた。
「歌舞伎町に」「チェーン薬局でもなく」「個人が営んでいて」「夜から朝まで開いている」薬局が誕生したのだ。

構想を練りはじめてから約10年。通常の独立開業とは違う困難にも直面した。その間、「深夜薬局」への情熱が消えることはなかったのだろうか

門前薬局とか普通の薬局にすれば、問屋だって素直に商品を卸してくれただろう。貯めてきた資金が無駄になるわけではない。ほんの少し方向性は違うけれど、薬局を開業することはできるのだ。10年もの間、途中で、方針を変えようと思ったことはないのだろうか?

「なかったですね」
と中沢さんは言う。
「自分の中では決まっていたことだったんです」

別に中沢さんは、起業家の本を読んだり自己啓発書を読んだりして、やる気を保っていたわけでもない。ただ日々、投薬の経験を積み、歌舞伎町の空気を吸い、倹約に励んでいた、だけだと言う。

「会社員として定年まで勤めるなんていう気持ちがない以上、なにか自分ではじめるしかないですからね。で、やるならおもしろいほうがいい。それだけです

中沢さんの辞書には、「常識」「安定」「出世」といった言葉は、存在していないようだ。

かつて、F1という言葉も知られていない時代。自動車をつくったこともない二輪車メーカーを率いていた本田宗一郎は、それでも「(F1で走れる車が)できるかできんかわかんねえけど、俺はやりてぇよ!」と言ったという。そしてその思いを貫き、「やりてぇ」を実現した。

「やりたい」からと脇目もふらずに、あきらめずに突き進むことができるのが、すぐれた起業家の条件なのかもしれない。


「こわかった」開局当初

いざ歌舞伎町に深夜薬局をオープンしてみて、どうだったのだろうか? 
予測どおりにお客さんは増えたのだろうか。

いえ、それが全然。はじめは本当に少なかったですよ
それは私も悪くて、大々的に宣伝したりしなかったんですよね。いま考えれば致命的なんですけど……、とにかくこわかった」

「こわい」とは、いったいなにが「こわかった」のだろうか。

やはり、ヤクザとか水商売のお客さんとか、極道映画みたいなひとたちだろうか。いや違う。中沢さんがおそれたのは、資本の厚い同業他社の存在だった。

新宿・歌舞伎町には、夜間は閉まっているものの大手全国チェーンから個人店までドラッグストアや薬局がいくつも存在している。歌舞伎町近辺まで広げたら、そうとうな数だ。彼らにとっては、未知の、一風変わった商売敵だ。

なんの後ろ盾もない個人がいきなり薬局を開くことで、それら法人の薬局がどう動いてくるのかがわからなかった。「生意気な」と一気につぶされるかもしれない。「それならうちも」と、深夜営業をはじめるかもしれない。……そんなふうに思い、近くの薬局を刺激しないように、広報活動を極力抑えたのだ。

まったく未知の開局だったので、想像もつかなくて、慎重になってしまいました」

ところが、そうしてしばらく様子を見ていたものの、つぶされる気配はない。同業他社がなにかをしかけてくる様子はなかった。

開局した年の秋に、新聞の取材が入った。大きな宣伝となる。顧客が増えるか否かよりも、それが他の薬局を刺激することになるんじゃないか、という点が気になる。
新聞には大きく掲載されたものの、やはりつぶされる気配はなかった。

そこからまた半年、1年と経ってようやくほっと胸をなでおろした。そして、その新聞からメディアの露出もポツポツ増え、ニュクス薬局の壁には取材を受けた新聞の切り抜きなども貼られるようになる。これが宣伝にもなり、街のひとにも少しずつ知られるようになった。

「そして、経営は軌道に乗った」といってよいのだろうか?

「軌道に乗るっていうのが、よくわかんないですね。
いまも変わらずひとりでやっていますし。でも、なんとかつづけられているし……乗っているのかな。事業閉鎖とかの心配をしないで生きていけるようになったのは、1年目の後半……いや、2年目に入ってくらいかな?」

家賃を含めた中沢さんの生活費は月17万円だという。「新宿在住」であるにもかかわらず、である。生活水準は、大学時代からずっと変えていない

「まあ、お金を使う趣味もないですからね。
それに高カロリーなごちそうも食べないからデブらない。いいですよ」


歌舞伎町はムラ

さて、ニュクス薬局の経営が回るようになったのは、新聞やテレビといったメディアに取り上げられたおかげだけではない。かなりのお客さんが、クチコミで来るのだ

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深夜薬局

福田智弘

新宿・歌舞伎町。このネオン街の一角に、小さな薬局があります。「ニュクス薬局」。営業時間は夜8時から翌朝9時まで。薬剤師はたった一人。訪れるのは、親からの虐待を告白する多重人格の女性やコロナ禍で生活苦を訴える風俗嬢、「眠れない」とあせる...もっと読む

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