南太平洋上に浮かぶ、大小あわせて二〇〇ほどの島々からなるブルーマーブル諸島。
その極東部に位置するジツポン島──同島の中央部に、半年前に新設されたばかりの国際霊長類研究センター付属施設に、東郷隆が赴任したのは二週間ほど前のことだ。
当のセンターは、一五の加盟国と国連機関によって設立・運営されている。加盟国以外からも積極的に研究者を受け入れ、霊長類に関する幅広い研究をおこなっている。世界の諸所に設けられた関連研究所では、地域特性や地域環境に応じた取り組みがなされているため、各施設の目的・用途には細かい違いがある。研究対象や設備はもちろん、ことによると利用規約においても独自の内容を定めている支所・施設も存在する。
このたび東郷が招かれたジツポン島の施設は、ブルーマーブル諸島に生息する固有種の保育飼育管理に当てられている──表向きにはそう伝えられているのだが、実態はベールに包まれており、センター関係者にさえ秘匿されている事柄が多い付属施設でもある。
一切他言無用を条件に招請されたことを、東郷はまったく苦にしていない。いかなる状況下であろうと、いつも通りに自分の職務をこなすだけ──それをモットーにしている職人気質の彼からすれば、赴任先の内幕などちっとも気にはならない。もとより毛ほども興味が湧かないので、なにを見聞きしても特別な印象は残らない。おまけに彼はすこぶる口が堅く、交友関係は皆無に等しい。よって東郷隆が契約違反を犯す可能性は極めて低い。そうした信頼性も、今回彼に白羽の矢が立てられた理由のひとつに違いなかった。
二日間の健康診断と三日間の研修プログラムを受けた東郷は、その後に一週間の待機期間を経て、この日ついに諸味塚(もろみづか)博士との面会がかなった。当施設の責任者たる諸味塚は、東郷がこれから携わるプロジェクトの主任研究者でもある。ようやっと仕事に着手できる段階にさしかかり、東郷隆は道具箱を片手に厳しい面持ちで所長室のドアを開けた。
「さてまずは、これをご覧いただきたい」
ソファーに腰を下ろすと、ある記録映像に注目するよう東郷は促された。一見したところ、画面に映し出されているのは、地元民らしき若い四人家族がなにかに怯えている様子に思えるが、実相は大きく異なる。
「これは人ではなく、新種のサルです。確かに我々人類そっくりだし、服だって着ちゃいるが、この島で半年前に発見された未知なるサルなのです。彼らがここにいたから、この管理施設がつくられて、わたしとあなたもこうして職にありついているというわけです」
あれがサルであるという事実よりも、人間でないことこそがにわかに信じがたい──これが、当の新種を目の当たりにした人々が得てして漏らす、驚きまじりの感想だった。それほどまでに人と区別がつかないサルが、当施設の研究対象となっているのだ。
「それで、どこからとりかかれば?」記録映像にはもはや目もくれず、おのれの職務にしか関心がないと改めてわからせるかのように、東郷は単刀直入に訊ねた。
「いやいや、まあそうあわてなさんな。実際に仕事に入ってもらう前に、我々としてはこの記録映像を通して、今回の要請に至った経緯を説明したいと考えている。なに、そんなにはかからない。全部でざっと一二、三分ほどだから、どうかおつきあい願いたい」
差し出されたグラスには首を横に振ったが、ソファーからは立ちあがらず、東郷は再びテレビモニターの画面を見つめだした。一時停止していた映像がまた流れはじめた。
「彼らが発見されたとき、というよりも、彼らが人間ではなくサルなのだと判明したとき、我々研究者はひどく興奮させられた。霊長類学史上最大級の発見だと沸き立ったものだ。ただし同時に、その取り扱いにはいろいろな意味で非常な慎重さが求められることも明らかだった。公表までに、多方面での議論を徹底的におこなう必要があり、解決せねばならない問題は山積していた。なにしろ彼らが、あまりにも人類に似すぎているからだ」
画面上の映像は、体育館のような広い空間に集められた新種サルの群れが、ふたつのグループにわかれて互いにそっぽを向きあっている様をとらえている。
「我々は手始めに、彼らをとことん観察してみることにした。毎度おなじみのやり方だ。それによって様々なことがわかり、我々の方針も自ずと定まってくると思われた。するとどうだろう、じつに苦々しい事実が次々に浮き彫りになっていった。彼らは姿形だけでなく、行動学的に見ても、あまりにも人類に似すぎているのだ」
ふたつのグループが露骨にいがみあう過程を示した、断片的な映像が画面上に流れる。
「これはみな同一集落の出身者だ。すなわち同種の個体群なのだが、案の定、同類同士協力しあうこともあれば、競争も敵対もする。個体間の対立は当然として、仲間内にもやがては派閥めいたものが生まれ、最初はこんなふうに二派にわかれ、さらなる分派をくりかえしてゆく。同類意識は固定化しない。ここでも類はひたすら細分化するばかりなのだ」
映像は、派閥争いの激化を段階的に明示する。双子みたいに瓜二つの連中が対峙して、それぞれの顔が気に入らないと罵りあうような、不毛な抗争劇だと諸味塚は解説する。
「このなりゆき自体は想定内だった。予想もしなかったのは、彼らに流れる時間の速さだ。彼らが起こす物事は何事も迅速に推移する。すべてが恐ろしく速い。理解も行動も速い彼らは、どうやら寿命も短い。しかしそれを上回る繁殖力があるため、今日まで絶滅を免れていたらしい。そして驚くべきことに、我々との接触によって彼らは人類言語を一週間程度で習得してしまった。おかげで彼らはますます人間に似てしまったのだ。違いがあるとすれば、いつでも彼らは、我々人類とは比較にならぬくらいに素早く動けるということだ。これは言うまでもなく、我々人類に重大な危機が迫っていることを意味する」
死者が出るほどに発展してしまった派閥間対立──その解消を図るべく、中立派が間に入って双方に
「パンドラの箱を開けたことに気づくまで、半年もかかってしまった。その責任は、もちろん我々全員が重く受けとめているのだが、まずは手遅れになる前に、つまりは『猿の惑星』みたいなことにならぬうちに、思い切った処置をとらねばならない。しかしそれも容易ではない。なぜなら我々のような国連絡みの公的研究機関が、一生物種の根絶を企て直接手を下すようなことがあってはならないからだ。とすれば、非公式の手段を用いるしか選択肢はない。かくして君の出番となったわけだ。こんなことになってとにかく残念だ。本当に悔やまれてならないのだが、しかし自分たちではどうにもできないから、あとはプロの君に任せるとするよ」
テレビモニターの画面はすでに暗くなっていた。記録映像は、新種サルたちが、諸味塚をはじめとした研究者数人を激しく問いつめる場面で終わっていた。それまで瞼を閉じつつ黙って説明に聞き入っていた東郷は、道具箱を抱えて立ちあがった。
諸味塚とともに所長室を出た東郷は、プロジェクトチームの面々が集う研究室へと案内された。ことの性質上、やはり歓迎の雰囲気はなく、無言のうちにさっさと済ませてほしいとでも言いたげな表情が散見された。
「関係者は、これで全員ですか?」道具箱を開けながら東郷が問うと、
「ああ、君の要望通りね。どういう順番がいいか、銘々からアドバイスをもらうといい」
その必要はない、とつぶやくと、東郷隆はサプレッサー付きの自動小銃を構えて速やかにひとりひとり撃ち殺していった。室内には全部で数十人はいたが、すべてかたづけるのにほんの数分しかかからなかった。
最後のひとりとなった諸味塚の頭を撃ち抜くと、奇妙なことが生じた。諸味塚の頭部が首からはずれて床の上に転がり、ひとりでに口が開いてこんなひと言を言い残したのだ。
「本当に悔やまれてならない」
それに対し反射的に、東郷はさらに一発撃ち込む。すると諸味塚の頭部は壊れて玩具の残骸みたいになり、言葉も発しなくなった。
わけがわからなかったが、職務を無事にやり遂げたことの安堵感から、東郷は脱力してひと息ついた──だがふと振りかえり、壁掛け鏡の中の自分と目があったところで、今度は東郷自身の寿命が尽きてしまった。
(おわり)
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