生活苦から結婚します。

今回、牧村さんのもとには「一人で生きていくのが厳しいから結婚します」という内容のおたよりが届きました。これまでセクシュアルマイノリティとして生きてきたという相談者さん。「セクマイ当事者として振舞っていた自分と、内情はさておき法律婚に向かっている自分がちぐはぐで噛み合わない感じがします」と悩む相談者さんに、牧村さんは悩みの本質を解き明かしながら、力強い言葉を投げかけます。


※牧村さんに聞いてみたいことやこの連載に対する感想がある方は、応募フォームを通じてお送りください! HN・匿名でもかまいません。/バナー写真撮影:田中舞 着物スタイリング:渡部あや

「一人では生きていけないから結婚する」

って、簡単に裏返っちゃうんです。

「一人では生きていけないから離婚できない」に……。

だから、ちょっと考えたいんです。 なぜ、そして、どの点で、“一人”だと思わされているのかを。 単に「結婚制度を使っていない」って状態を「独身」、「特定人物と一対一の排他的性関係を結んではいない」って状態を「一人」って、わたしたちに呼ばせているのは、一体、なんなのかってことを。

結婚も恋も関係なしに、本当は誰も一人じゃないはず。

神奈川県央部、現在で言う相模原市あたりの古い言葉では、結婚せずにいる人を「おんじ」「おんば」と呼んでいました(参考:相模原市公民館)。共同体の一員として扱い、「一人」を意味する言葉では呼ばなかった。

それに比べて、古くから戦乱が多く武装の必要があった地域、例えばヨーロッパでは、結婚していない/特定の性的パートナーと排他的関係を結ばない人を、「単一」という意味を含む言葉で呼んできました。

面白い例をあげましょう。フランス語で「独身」は「célibataire」。これはラテン語の「caelebs」から来ており、そして「caelebs」とは「片目の、単眼の(caecus)人生(leb)」です。これを皮肉って、第二次世界大戦前のパリ・モンマルトルには、「結婚しない片目の人生、最高よ!」ってことで「Le Monocle(片眼鏡)」という名前の女性限定社交クラブがありました。燕尾服のギャルソンヌ、水兵服のマドモワゼル。片目だけの眼鏡は、当時のパリで、女を愛する女のシンボルでした。

ところが……第二次世界大戦。パリは、ナチスドイツの手に落ちます。クラブは閉鎖。同性愛者とされた人たちは、次々と強制収容所で殺されたり、異性との性交を強要されたり、“同性愛治療”と称した人体実験の対象にされていきました(参考:「同性愛は『病気』なの?~僕たちを振り分けた世界の『同性愛診断法』クロニクル~」星海社新書/cakes読者さん用に書き下ろした記事はこちら)。“単一”であることが、許されない世の中になったのです。民衆を争わせ、富や土地を我がものとしたい権力者は、いつでも、どこでもこう言ってきましたからね。「敵を殺しなさい。あなたの愛する妻を、子どもを、国を守るために。次の世代の国民を産みなさい。他のどこでもない、この国が勝つために」……

そして、今回のご相談がこれです。

「一人で生きていくのが厳しいから結婚します」

こうした方が増えていることは、人生相談をお受けする文筆家として実感しています。ということで、長い前置きになりましたけれども、まずは「結婚しているかどうかに関わらず、本来誰も一人ではないはず」「にも関わらず、結婚していない状態を“一人”だとわたしたちに思わせているのはなんなのか、一体何がわたしたちに“一人で生きていくのは厳しい”と思わせているのか」というお話をいたしました。

その上で、ご相談者の方と考えていきたいと思います。相談文には「セクマイ」というキーワードが出てきます。これは「セクシュアルマイノリティ」、性のあり方が少数派であるということにされ、存在が軽んじられたり、社会制度設計の想定範囲外とされたりしているために不利益を被る人々の略称です。男子/女子で分けられている施設や法制度で困る、その場にいないことにされて嘲笑される、結婚制度を利用できない、などといった例が挙げられるでしょう。

が、これは、ご自身を「セクマイ」だと考えない方にも当てはまる話。大きく言えば、「言葉の力で自分の思想を決定付けられてしまうこと」についての話だとわたしは思っています。結婚していない状態を「独身」と呼ぶ言語によって、「一人」だと思わされてはたまりません。言葉の力に使われないために。言葉を、使うために。まずは、相談文から読んでいきましょう。

まきむぅさんこんにちは。
昔サインして頂いた『百合のリアル』、大切に読んでます。


最近もやもやしていることがあるので聞いて頂けると助かります。 私は仕事があまり上手くいっておらず、家族を全員亡くして事後処理で燃え尽きてしまい、1人で生きていくのは厳しいなぁと常々感じています。 そこで現状打破を掲げて婚活をし、穏やかで優しい男性とのご縁がありました。 男性の方も結婚前提の付き合いを、と言ってくれています。

しかしながら、私はセクマイ当事者としてインタビューを受けるなどしていたことがありました。 セクマイ当事者として振舞っておきながら、30歳を目前に控え、世の中の呪いに負けて結婚妊娠出産子育てのルートに向かっている自分ってどうなんだろうと思ってしまいます。 男性と恋愛できる気はしないので、お相手には恋愛ではなく家庭を運営していく為のパートナーシップを築きたいという話をしています。

友情結婚という形でお相手との在り方をカスタマイズしていきたいと思っていますが、セクマイ当事者として振舞っていた自分と、内情はさておき法律婚に向かっている自分がちぐはぐで噛み合わない感じがします。 もしよろしければ、まきむぅさんに考え方のヒントを頂けると嬉しいです。

(全文そのまま掲載しました)


「セクマイならば異性と法律婚するのは負け」という思想の方がよっぽど呪いだと思いました。

「セクマイ」という言葉をアイデンティティにしている方から奪うつもりはありませんが、指摘しておきたいと思います。「セクマイ」という日本語表現は、人間が自由になるために生み出したものです。その言葉で不自由になっては、本末転倒です。

誰がマジョリティで誰がマイノリティとなるかは、相対的なものです。絶対的なものではありません。言い換えれば、この世に「マジョリティさんたち」と「マイノリティさんたち」がいるのではない。人間と人間の力関係によって、「マジョリティの立場に置かれる人たち」と「マイノリティの立場に置かれる人たち」がいる、ということです。

にもかかわらず、一個の人間を指して「セクマイ」と、キャッチーに略して言うことにどんな危険性が潜んでいると思いますか。わたしが思うに、人が人を「セクマイさん」にしてしまう危険性です。「世の中の仕組みがある特定の人たちを社会制度から排除されたマイノリティにしてしまう」という根本の話を忘れ、「世の中にはセクマイの人たちがいる」という発想になってしまう。つまり、社会制度が不問にされてしまうのです。

その上、マイノリティであることそのものにアイデンティティを見出すと、こんな感覚に囚われてしまうこともあります。

「権威としてそびえ立って自分を迫害する何かがなければ、そしてそれに抗っていなければ、自分は自分でいられない」

ご相談者の方が直面しておられるのは、おそらく、このアイデンティティクライシスです。自分のことを「セクマイさん」だと言っていたのに、「マジョリティとは違う自分」、「権威に抗う自分」、「他のセクマイたちと仲間でいられる自分」だと思っていたのに。もうその名を名乗れなくなるのか、それではいったい自分は何者だったんだ、これから誰を仲間だと思えばいいんだ……。と、いうような。

でもね。

最初から、あなたは、あなただったんですよ。

あなたを説明してくれる言葉を、あなた以外の人に求めて安心したこともあったでしょう。けれど、それがあろうがなかろうが、あなたは、あなただったんですよ。最初から、あなたは、あなただったんですよ。

お送りくださった文章は、「一緒に家庭を運営するパートナーを探して候補を見つけた」という話ですよね。それをあなたが選択なさった。あなたの人生の話なんです。それを「世の中の呪いに負けて結婚妊娠出産子育てのルートに向かっている」とおっしゃいますが、この文章からは、あなたが妊娠以降をなぜやりたいのかが伝わってきていません。まさか、「結婚の後は妊娠出産子育てをしないといけない」と思い込まされてはおられませんよね? 繰り返します。あなたは最初からあなただし、これからも、あなたなんですよ。

今までたくさんのことを、よく乗り越えてこられました。きっとお疲れでしょうけれど、しかし、そんな今だからこそ、そもそも「一人で生きていくのは厳しいなぁ」の中身をもう一度見てみるといいと思います。それは、経済的なものでしょうか? 精神的なものでしょうか?

「一人で生きていくのは厳しいなぁと思っての結婚」は、ともすれば「家事やってくれる役を探す」「ATM役を探す」みたいなふうにも聞こえるんです。それをやる人もいますし、それも一種のサバイバルですが……単に、方法として安全性が低すぎるとわたしは思います。

縁起の悪いことを言うようですが、結婚って、結婚相手にこういうことも実際にあるわけでしょう。

・すごい借金を隠していた。
・結婚後に犯罪を犯した。
・なんらかの過失で莫大な賠償金支払い義務を負った。

というわけで、結婚は……特に法律婚は、一人よりも暮らしが楽になることとは限らない。むしろ、色んな意味でもう一人分の重みが加わった暮らしを始めるってことだと思うんです。その人の人生の重みをも背負って、苦労してでも経済的安定を目指したい、相手が刑務所にいても支えたい、償う日々にも共にありたい、大病をした時も支えたい。そういった場合は、むしろ法律の上で婚姻関係があった方が確実です。ですが、特定個人のそういうのは背負いたくない、ただ自分が生きていくのが厳しいから助けてほしいだけ……という場合、わたしがそれを求める相手は結婚相手ではありません。行政です。周りの人です。結婚しなければ生きていけない、という、簡単に「生きていけないので離婚できない」に裏返ってしまうような重大欠陥を抱えた社会設計に、わたし自身含め、いかなる人も追い込みたくないからです。人間社会をなす一員として。

人は、いわゆる「独身」であっても、一人で生きているわけではありません。各種の社会制度があり、戸籍には載らない人間関係があって生きています。

社会制度からの排除を受けている人が「マイノリティという状態にある」のであって、「セクマイ」という種類の人間がいるわけではありません。結婚しようがしなかろうが、各種の社会制度と、戸籍に載ったり載らなかったりする人間関係の中で生きていることに変わりはありません。

どうか、「セクマイ当事者として生きてきたけど一人で生きていくのが厳しいので、男性と恋愛する気はないがパートナー関係を築いてほしいというわたしを受け入れてほしい」……ではなくて、もっと広く豊かな人間関係を編んでいけますように。誰かと結婚制度を使うにしても、使わないにしても。この連載の元になった本、『百合のリアル』にある通りです。言葉は、わたしたち人間をカテゴリ分けするものではなく、タグ付けするものとして使っていきたい。「セクマイ」だとか、「配偶者」だとか、いかなる言葉を身に着けるのも、他ならぬ、あなた自身です。


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この連載について

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ハッピーエンドに殺されない

牧村朝子

性のことは、人生のこと。フランスでの国際同性結婚や、アメリカでのLGBTsコミュニティ取材などを経て、愛と性のことについて書き続ける文筆家の牧村朝子さんが、cakes読者のみなさんからの投稿に答えます。2014年から、200件を超える...もっと読む

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コメント

mad_sasama https://t.co/nST3W0aoZ9 6日前 replyretweetfavorite

Castella_34 良い回答。一読されたし 6日前 replyretweetfavorite

Castella_34 よい回答 6日前 replyretweetfavorite

TaylorTutti そう表現するとなんかアレなので一緒に暮らしていけそうな人がいたから支え合い共同体として結婚するでいいと思うな。うちはおっととはそんな感じだしな。銀行口座も別で… https://t.co/TxvOWBhX1q 6日前 replyretweetfavorite