作ることは「わかっていたつもりがわかっていないことを知る」の連続

新型コロナウィルスの今、たくさんのつらいことがあるけれども、そのひとつに「ちょっと先の約束ができない」っていうものがある気がします。連載第50回、サクちゃんは「『どうなるかわからないから期待するのをやめよう』と、諦めるクセがついてしまっているかもしれません」って言っていました。期待するっていうこともやっかいですよね。諦めきれない。あと……写真のパンダ……かわいいな……。(毎週火曜日更新)

蘭ちゃんへ

こんにちは! 東京も寒いです。寒いのはいやだけど、「冬は寒い」という当たり前のことが当たり前に起こるということに、すこしホッとしているような気もします。

この1年、無数の「思ってたのとちがう」がありました。「思ってたのとちがう」という期待と現実との差に、人は傷つきます。ひとつひとつは小さな差でも、1年分溜まるとかなりの量なのではないかな。つまり、みんな知らないうちにたくさん傷ついて、とても疲れているのだと思います。

そして、「どうなるかわからないから期待するのをやめよう」と、諦めるクセがついてしまっているかもしれません。先のことを楽しみにできないというのは、とてもしんどいなと改めて感じています。

人々から希望やワクワクを奪った感染症が蔓延するこの世界のことを、自分に力が湧いてこなくなってしまったことも含めて、おぼえておかないといけないなと思います。

*ー*ー*

マスクもすっかり当たり前アイテムになりましたね。わたしも蘭ちゃんと同じく、不織布の白いマスク派です。そういえば布やウレタン素材の色のついたマスクは使ったことがないですね。

あまりよく考えたことがなかった、というか、よく考えるほど興味がないのだと思います。わたしにとってマスクは「しないといけないからしているだけで、どうでもいい」ものなので、一番無難で個性が出ないものを選んでいるのかな。

マスクは、必要だけど単なる義務で、機能は求めるもののそこに快適さを求めていないんだなとわかりました。そういうものに対しては「選んでいる」というより「イヤじゃなければいい」と消去法で手に取っているんだな。

マスクがどうでもいいものというのに相反して、どうでもよくないものは、つまり「自分で選びたい」ものです。ここまでのやりとりの流れに沿っていうと、「快適さを求める範囲」ということかな。たとえば、服や寝具、食べるもの、髪型、スキンケアなどは、自分に合うものが快適なので、自分で選びたいです。

*ー*ー*

わたしは前回、いらないものを減らして、快適なものを選ぶのが「ご自愛」だ、と書きましたが、それに対して、その先にさらに「歓喜」という予測不可能な喜びのかたちがあるのでは、と蘭ちゃんは掘り進めてくれましたね。

「歓喜」って、「驚きを伴うよろこび」というイメージなのだけど、日記のこの部分を読んだときに、ある歌詞が浮かびました。

「声をあげて飛び上がるほどにうれしい そんな日々がこれから起こるはずだろ」(フィルム/星野源)です。

そしてこの歌詞は、「どんなことも  消えない小さな痛みも 雲の上で笑って観られるように どうせなら作れ作れ 目の前の景色を」と続きます。

死んだ後に振り返ったときに笑って観られる映画を作るように、今生きているうちに起こることは自分の手で作れ。ということかなとわたしは解釈しています。

この歌詞や、蘭ちゃんのいうように、驚くようなよろこびは、自分の手でなにかを作ることと繋がっているのでしょうね。ものを作ることもそうだし、用事や関係性を作ることも含めて。

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サクちゃん蘭ちゃんのそもそも交換日記

土門蘭 /桜林直子

東京でクッキー屋さんをしている「桜林直子(サクちゃん)」と、京都で小説家として文章を書く「土門蘭(蘭ちゃん)」は、生活も仕事も違うふたりの女性。この連載は、そんなふたりの交換日記です。ふたりが気が合うのは、彼女たちに世界の「そもそも」...もっと読む

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