先日、ある二〇代の男性から質問を受けました。
「世の中は理不尽なことだらけです。行列に横入りする老人に、上司のパワハラ、犯罪のような大きな問題もあります。大愚和尚はそういう悪にも腹を立てず、戦いもしないんですか?」
この質問の中には二つの重要な問いがあります。 一つは、私も怒りを覚えるかどうかという問い。 もう一つは、私が戦うかどうかという問いです。
最初の怒りについての質問には、私は「怒らないようにしています」と答えます。なぜなら怒りは無駄であるばかりか、邪魔な感情だからです。
仏教における三毒「貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)」は、この順番で心に現れます。 すなわち「欲しい」という貪欲がまず起こり、それが得られないと怒りが生まれます。得られなかったら、奪われたらどうしよう?」という恐怖と不安もまた、怒りとして現れる。
その結果起こる感情が痴、愚かさや迷いです。 怒ってもどうにもならない。なのに、怒ってしまう。それが人間の弱さです。
ネットを見ていると「もっと怒って声を上げろ! 立ち上がれ! 権力と戦え!」という元気の良い言葉が並んでいますが、そういう人はたぶん、本当に手強い相手と戦った経験がないんでしょう。
私は空手を通じて「戦いに勝つには冷静でなければならない」と学びました。実力が拮抗しているのに試合で負けてしまうときは、イライラしていたり、勝ちたい欲が強すぎて、冷静さと集中力を失っているのです。 怒るとアドレナリンが出て、筋肉に血流が集中し、脳の働きが低下します。
取っ組み合いのケンカをするならいいのですが、戦略を立てて相手を論破するという二一世紀における戦いでは、判断力の低下につながって不利になります。
怒りは求めるものを遠ざけます。そして自分を害し、人をも傷つけてしまう。怒っても、一つもいいことがないのです。