深夜薬局

嵐の夜に駆け込んできた女性の傷

新宿・歌舞伎町に夜間だけ営業している「ニュクス薬局」。人には言えない、相談もできない。そんな、いろいろな事情を抱えたひとびとが訪れています。ここへ何かを求めてやって来る人々と、薬剤師の中沢さんとの10の物語について。今回はその第3弾。ライターの福田智弘さんがくわしくお話しを伺いました。2月18日発売の『深夜薬局』より特別公開します。

嵐の夜に駆け込んできた女性の傷

開局してしばらくすると、「ニュクス薬局」は、新聞やテレビなどで取り上げられる機会が増えてきた。「中沢さん」の存在が、次第に知れわたったことで、深夜にかかってくる相談の電話も、なにか話したそうにやって来るお客さんの数も増えてきた。

ある夏の夜。東京に台風が直撃した。
風が強く音を立てて吹き荒れている。どこかの看板が飛んでいく。さすがの歌舞伎町も人通りはまばらだったが、ニュクス薬局は、いつもと同じように営業していた。
しかし、当然ながら、お客さんはほとんど来なかった。

夜中の3時を過ぎ、雨脚はどんどん強くなる。
そんな中、傘をさしながらもびしょ濡れになったひとりの女性が入ってきた。はじめて見る顔である。中沢さんが「処方箋かな、急患かな」と思っていると

「いま飲んでいる薬について相談したい」

と言う。わざわざこんな嵐の夜に? いぶかしがりながらもカウンター前の椅子にうながすと、彼女は、腰を下ろした。
そのまま、彼女はしばらく躊躇していた。ニュクス薬局のガラス窓のむこうでは、強い雨風がびゅうびゅううなりをあげている。しばらくして、彼女は語りはじめた。

彼女は、性的暴行の被害者だったのだ。犯人は、仕事関係者だという。

じつは中沢さん、ブログで、性的暴行を受けた女性の心理状態について書いたことがある。それをたまたま目にした彼女が、
「このひとになら話をしてもいいかもしれない」
と思ってやって来たのだ。親にも、友だちにも、ほかの誰にも話せなかったけど、ここでなら話せるかもしれない。
かといって、他のお客さんがいる前では話せない。慌しいときに行って、ちゃんと聴いてもらえないのも困る。

だから彼女は、嵐の日の深夜にやってきた。「さすがにこの状況なら誰もいないんじゃないか」と考えて……。おそらく、ずっとタイミングを見計らっていたのだろう。中沢さんはただ、彼女の口からはじめて発せられるその話を聴いた。

「性的暴行」は、許すことのできない重罪だ。中沢さんは、このような相談を受けたとき、どう対処するのだろうか? 警察に通報することをすすめるのか? 具体的な相談先を教えるのか? それとも……?

「求められたら、その分野に詳しいNPOを紹介しますけど。
でも、私のほうからこうしなよ、ああしなよってアドバイスすることはないです

とくに時間の経った性的暴行の場合は、行動を起こしても心の傷が深くなるだけのことが多い。時間が経てば経つほど相手のおこないを証明するのが難しいし、なにより自分の身に起こったおぞましい出来事を思い出し、たくさんのひとにあれこれ具体的に話さなければならなくなる。覚悟をしていても苦しく、つらいこと。それを強いることはできない。
また、犯人は仕事関係者だったという。不用意に「行動を起こそう」と呼びかけることでどのような苦難が待ち構えているか、その暴力性もよくわかってもいるのだろう。

目の前のお客さんが1日でも早く元気になれることが、中沢さんの薬剤師としての使命なのだ。ゴールは、犯人をつかまえることでは、ない。警察じゃなく薬局なのだから。

女性が求めていたのも、じつは同じなのじゃないだろうか?
訴訟はできない。具体的な行動は起こせない。けれど、自分だけで抱えつづけるのはつらい。だから、「ただ話したい」のだ。「ただ聴いてほしい」のだ。
苦しみにつぶれそうになったその女性にとって、ニュクス薬局は、文字どおり駆け込み寺のような存在だったのだろう。

嵐の夜に彼女のこころは、ほんの少しだけ軽くなった……はずだ。


「ミスが多い」と悩む事務員の決断

聞かれなければアドバイスはしないけれど、聞かれれば本心を伝える。これが中沢さんのルールでもある。

3年ほどニュクス薬局に通っている女性がいる。
水商売の女性ではない。派遣で、ある会社の事務をしていたけれど「仕事がうまくいかない」と悩みつづけていた。ひょっとすると、自分は「ADHD(注意欠陥多動性障害)」なのではないか、だから仕事もうまくいかないのではないか、と真剣に悩んでいた。

「ADHD」とは、発達障害の一種で、「集中できない、忘れっぽい、落ち着きがない」などの症状が出る。かつては幼児期に見られる障害と思われていたが、近年、「ADHD」と診断される成人も増えている。
彼女の場合も、トイレに化粧品や携帯を忘れるといったうっかりミスが多く、仕事でも失敗が重なっていた。

「ほんとダメ人間だ、どうすればいいんだろう?」
中沢さんのところに来ては、そう漏らしていた。

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この連載について

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深夜薬局

福田智弘

新宿・歌舞伎町。このネオン街の一角に、小さな薬局があります。「ニュクス薬局」。営業時間は夜8時から翌朝9時まで。薬剤師はたった一人。訪れるのは、親からの虐待を告白する多重人格の女性やコロナ禍で生活苦を訴える風俗嬢、「眠れない」とあせる...もっと読む

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