フリーランスママになって「マイペースに働くぞ!」と思ったものの、実際に、妊娠、出産したら、産後ノイローゼ、イヤイヤ期の保活、夫の失業と言う壁が次々と押し寄せて、フリーランス大黒柱まで経験したカワグチ。
それは、とてつもなく重いプレッシャーを感じる日々でした。
しかし、「一人で家族を養う」と言う経験をしたことで、夫が心身が壊れる寸前まで一人で働いて、家族を守ってくれていたことに、感謝することができました。
私たち夫婦は共に30歳になり、夫は会社員、私はフリーランスの共働き夫婦になりました。
そして、息子のソウちゃんは3歳になり、認可外保育園から、私立幼稚園に移りました。
保育園を8園回ってようやく見つけた、認可外のB保育園は、とても居心地のいい園でした。
一人一人の子どもたちの成長に寄り添った教育で、ソウちゃんにも合っていたと思います。
しかし、その保育園までは、そこそこの距離があり、毎日、自転車送迎でした。
凍えそうな寒い日も、溶けそうな暑い日も、チャリを漕ぎ倒す日々…。
そこで、「預かり保育」と「送迎バス」のあるS幼稚園に転園することにしました。
預かり保育は、幼稚園の通常保育の後に、夕方まで預けることができました。 その時間帯に、習い事も幼稚園で受けることができました。 そのあとは、送迎バスで家まで送ってくれるという…
働くママとパパの強い味方!!
S幼稚園に移ってからは、ソウちゃんの成長もあり、私は本格的にフリーランスの仕事をできるようになりました。
この頃は、週4〜5、朝10時〜17時頃まで仕事をしていました。
1日のスケジュールはこんな感じ。
夫が失業中は、「自分ができる仕事は何でもやります!」というスタンスで仕事を受けてましたが、実績が増えると、仕事を選べるようになり、イラストの仕事が増え始めました。
月の収入は、25〜30万円前後を安定する時期が続きました。
夫の収入は生活費に、私の収入は貯蓄や、臨時の出費に充てていました。
また、この頃、営業をしたり、交流会に参加したりした成果が、ようやく芽を出し始めました。
初めのうちは全くと言っていいほど反応がありませんでしたが、半年くらいから、少しずつ依頼が増えていきました。
最初の営業先が、出版社であったことも、早めに軌道に乗れたポイントだと思います。
出版のお仕事は、書籍に名前を掲載してもらえることが多いです。その本をきっかけに、他の出版社から声をかけられたり、同じ出版社内で紹介してもらうことがありました。
実績がない頃に営業をしていて気づいたのは…
なので、書籍に名前が掲載されることは、実績としても紹介しやすく、信頼に繋がったのかもしれません。
営業を通して、フリーランスは、「いかに、信頼をわかりやすく人に伝えるかが大切」と言うことを実感しました。
そして「書籍」の仕事をしたかった理由は、「実績」になりやすいだけではありませんでした。
私は、イラストレーターになることが小さい頃からの夢でした。
その中でも、本のお仕事をすることが目標の一つでした。
会社員で働いていた頃、イラストレーターを目指し、デザイナーとして採用された会社で、人手不足を理由に、営業や、雑用の仕事をさせられていたことがありました。
その頃の私にとって「働く」ということは、「生活をするためにお金を稼ぐための手段」でした。
周りの人たちに、イラストレーターになる夢を反対されていたこともあり、 私の中で、好きなことをして稼ぐことに罪悪感がありました。
だけど、皮肉にも…
夫の失業をキッカケに、本気でフリーランスとして生きていくことを覚悟して、行動し続けた結果、好きなイラストの仕事で食べていけるようになりました。
働くことの価値観が変わりました。
それと同時に、イラストレーターやフリーランスになることを反対していた人たちに、理解されないことは仕方ないということにも気付きました。
また、夫が大黒柱になって働いていた時、私はお小遣いをもらっていました。
欲しいものがあるたびに、夫に確認を得ることも、罪悪感の一つでした。
それが今では…
誰にも気兼ねせず!自分で好きなものを自由に買える!
そう、好きな仕事は「楽しい!」。けれど、「楽」ではない。
同じ漢字なんですけどね。
フリーランスは、本業以外の仕事もたくさんあります…。
依頼があるたびに、見積りを計算したり、金額の交渉をしたり、請求書を作ったり、年に一度確定申告をしたり。「自由に働く」ことができるということは、「安定ではない」ということでもあります。
フリーランスで、継続して活動していくためには、考えて、行動し続けないといけません。
だから、より一層、フリーランスをするなら「好きな仕事」をしないと辛いと思います。
私も、駆け出しの頃や、夫が会社を辞めたときは、ガムシャラに思いつくことを何でもしてました。
しかし、仕事が安定し出した頃からは、育児の間に気軽にできる営業活動に切り替えました。
また、この頃、新しく始めたのがブログです。
当時、人気だったアメーバブログ。
超絶デジタル音痴の自覚があったので、簡単に始められる無料ブログを選びました。
私は、ブログで育児漫画を更新することにしました。
というのも、この頃、イラストの仕事は増えてきていたのですが、やりたい仕事を続けていると、どんどん、もっとやりたいことが見つかってくるんですね。
それが、「漫画を描くこと」でした。
でも、実際に漫画の仕事をしたことはなかったし、描いたこともありませんでした。
漫画を描けるだけの技術もありませんでした。
なので、まずは練習しようと思い、ブログをはじめました。
日々の息子や家族の日常の出来事を、漫画にしてアップしていく。
一人で、もくもくとやるより、一人でも読者がいてくれる方が、続けるモチベーションになります。
仕事以外での、絵を描く時間は、育児や仕事の気晴らしにもなりました。
自分の好きなものを心から好きと思える瞬間は、こういう時なのかもしれません。
それに、育児漫画を描くことで、育児で大変なことがあっても…
「ネタ」と捉えることで、客観的に見ることができました。
悩み事も、漫画にしてしまえば、笑いに変えることができる。
中には漫画にすることで、読者が一緒に悩んでくれたり、アドバイスをくれたりする人もいました。
そう言う活動を続けるうちに、イラストや漫画を描く人たちともブログやSNSを通して繋がっていきました。それは、私の漫画を描く大きな楽しみでもあり、原動力になりました。
ブログに育児エッセイを描くことは、私にとって「いいこと」がたくさんありました。
「誰かのために」「仕事のために」ではない。
「自分のために」だから続けることができました。
そして半年経った頃、
とある企業から、1通のメールが届きました。
そこには、なんと…「エッセイ漫画出版」の依頼のメールが…!
私はメールを二度見、いや、三度見しました。
…じゃなくて!
まさかの!目標にしていたエッセイ漫画の出版のお話だったのです!
この頃、ブログは半年以上続けてましたが、公式ブロガーどころか、ランキングの上位に入ったこともありませんでした。Twitterのフォロワー数も1000人以下。
それでも、出版のお声かけいただいたのです。
このメールに対して、私は…
力強く、お返事しました。
しかし、そのエッセイ漫画の内容は………